明日は、いよいよ沖縄を離れる日。
今回は行きに下船した那覇港ではなく、本部港から下船を予定していて、その前にYの友人と杯を傾け、最後の一日は今帰仁城周辺を周ろうということにしていた。
しかし、Yは数日前から体調不良。
それでも、なんとか運転は出来るということで、今帰仁まで車を移動させ、Kが一人で今帰仁散策へと向かうことに。
今帰仁城では、1月下旬から桜が咲き始めているということで、今時分はもう見られないのではないかと諦めていたら、いやいや、まだまだ咲いていた。
今帰仁の 有り難きかな 初桜
ここからは、Kの単独行動となり、Yはバンクベッドで休息。
今帰仁城(グスク)とは、13世紀の三山時代に築かれたヤンバル(山原)北山王の居城のこと。
14世紀になって中山王・尚巴志に滅ぼされ、その後、琉球王府派遣「監守」の居城となった。
1665年に監守が引き上げ、その後、祭りを執り行う場所として残されたという。
これは、その今帰仁城のミニチュア模型。
前にいたカップルが、なかなかこの場所から移動してくれなかった。
自撮り大好きな外国人カップルだったから、半ば諦めながら順番を待っていたら……。
キミが、いたんじゃ〜仕方ない。
ぐっすり眠っていて微動だにしないという、典型的なウチナーンチュ猫。
門前には、一軒だけポツンとサトウキビジュースが飲める茶屋が。
ここの庭先には、サトウキビが積まれていて、注文を聞いて、その場で絞ってくれるらしい。
そうこうしているうちに、グスク跡入り口に到着。
ここも、言わずと知れた世界遺産登録のグスク。
琉球王国のグスクの城壁は、それぞれ石材が異なるらしい。
俯瞰(ふかん)で見ると、こうなる。
それでは、いざ、グスク内へ。
確かに、きれいな流線形を描いている。
シャープでキレの良い日本の城壁と比べると、形状が優美で穏やかな印象を受ける。
さすが、闘いを好まず、踊りや歌や酒でもてなし、平和裏に対人関係を構築していこうとするウチナーンチュが築いたお城である。
グスク散策の後は、「今帰仁村歴史文化センター」を見学。
入り口には、こんなものが……。
戦前の軍国主義の時代、国家神道を押し付けらたことを記憶に留めようと、柱だけを残したという。
明治維新後、これとまったく同様の手法で、新政府が戊辰戦争で敗れた旧幕府軍の諸藩の城跡の中に神社を築いていったことを思い出す。
そういえば、日本政府は第二次世界大戦で占領下に置いていた北京においても、その中心部・故宮を取り囲む城壁にある建国門の傍らに神社を建てていた。
これが当事者側にとって、どれほど屈辱的なことであったか、想像に難くない。
センターの建物入り口には、もう一つ、最近、新たにお目見えした展示物が。
先日の糸満市同様、東日本大震災時に津波で流された舟が、この地まで辿り着き、その持ち主の方もご存命でいらした、という。
さて、本題の今帰仁村の歴史について。
これまでにも琉球全般の歴史や文化には多く触れてきたので、特筆すべき内容のみご紹介。
今帰仁は1665年まで、現在の本部町辺りまでを配下に収めていたという。
1609年の薩摩軍は侵攻の際に今帰仁城を焼き討ちしている。
ヤンバルを制した北山(今帰仁)王を降伏させ、三山を統一した中山王は、琉球王国として一つの国にまとめ上げたが、それは支配制度上の問題。
薩摩は軍力で攻め落とし、しかも焼き討ちとは‼︎
父親が薩摩出身のKとしては、肩身の狭い思いである。
今帰仁(北山)の文化圏は、以外に広い。
奄美大島が半分に分かれているが、現代ではどう影響が残っているのか興味深い。
お次は、今帰仁の名称について。
なぜ「今帰仁」と書いて「なきじん」と読むのか、ずっと気になっていた。
KY夫婦二人の間では、最終的に「いまじん」で落ち着いてしまったが。
「いまきじん」と呼ばれていた時代もあったということか。
少し納得。
しかし、それがどうして「なきじん」に?
これは、未だに解明されていないらしい。
専門家の方々の研究を待つことにしよう。
さて、最後は米軍。
ペリーの時代に、既にこの地を訪れて詳細な地図を作成している。
まだ地位協定もない時代に、乗組員がテントを張り、鶏を盗むとは‼︎
こうして今帰仁村の歴史秘話をいくつか携え、車で待つYの元へと届けたKであった。
そして車は、次なる目標地点 本部町の備瀬地区へ。
この辺りは、立派なフクギ並木道が続くことで有名。
緑のアーケードは、突然の雨も、強い陽射しも和らげてくれる。
年季の入った並木道は、今帰仁村の生き証人。
並木の中に、唐突に現れる石垣。
こうした石垣は、お金持ちのシンボル。
一般の方のお宅はというと、
この下の絵のように、並木で各家々を覆っている。
なにやら楽しそうな風景画。
この絵には、昔の今帰仁エリアの様子が描かれている。
部屋の壁面を覆うように飾られている、その絵の前に立っていると、
ふと、この中の世界に溶け込んでしまいたい、という感覚に襲われる。
そこに描かれていたのは、村人たちの日々の生活、四季折々の行事などなど。
みな楽しげで、それぞそれの暮らしの中に笑顔が満ち溢れているのがわかる。
広場の駐車場に戻ると、その反対側の並木の先が開けて見える。
その間の小径を辿って行くと、
そこは、海‼︎
近年、大開発の進むヤンバル。
この近くまで、リゾート開発の波は押し寄せている。
なんとか、このユートピアを守りたい。守って欲しい。
ヤンバルに基地はいらない。
沖縄に基地は似合わない。
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