2019.02.25 02:382月20日 桜咲く 今帰仁城(グスク)を訪ねる〜沖縄最後の一日明日は、いよいよ沖縄を離れる日。今回は行きに下船した那覇港ではなく、本部港から下船を予定していて、その前にYの友人と杯を傾け、最後の一日は今帰仁城周辺を周ろうということにしていた。しかし、Yは数日前から体調不良。それでも、なんとか運転は出来るということで、今帰仁まで車を移動させ、Kが一人で今帰仁散策へと向かうことに。
2019.02.24 01:382月18日 沖縄土産を買ってみたそろそろ沖縄を離れるということで、九州、四国、本州でお会いする方々へのお土産を選んでみた。今回の旅では、行く先々の道の駅やスーパー等で御当地モノを買い込み、その先々でお目にかかる方々へのお土産としてお渡しするということを繰り返してきた。基本は、軽くて、かさばらない物。これを数点組み合わせ、セットにして差し上げるのである。今回は、沖縄バージョンのご紹介。まずは、「沖縄県産もずく シークワーサー果汁入り」。沖縄らしく、三杯酢の代わりにシークワーサーを使っているところがミソ。
2019.02.23 02:362月17日 基地反対運動と県民投票参加の呼びかけの現状を追ってみた沖縄の幹線道路を通行していると、2月24日の県民投票への参加を呼びかける旗が、あちらこちらではためいている。
2019.02.23 01:552月16日 沖縄で出会ったシーサーたち part 2沖縄の街で出会ったシーサー、第二弾。施設の建物の壁面から、領域全般を守るシーサー。結構高い位置にあって、台風や地震など自然災害時のことを考えると、少し心配になる。
2019.02.23 00:302月15日 前川親方に学ぶ「ウチナーンチュ(沖縄人)精神」について昨晩の宴席において、前川親方がウチナーンチュ精神について滔々と語っておられたので、その誇るべき「ウチナーンチュ精神」について触れてみたい。1. イチャリバチョーデー(出会えば皆兄弟)確かにそうであった。前川親方は元より、名護市役所のKさんとは、たった一度宴席でご一緒させて頂いただけだが、我々が先島諸島へのショートトリップを計画した際には、親身になって駐車場を探してくださった。前川親方御用達のクラフトビール専門店「麦」のマスターは、沖縄方言に興味があると話しただけで、「それなら良いお店があるから連れて行ってあげる」といい、いつもより早めに店を閉めて、タクシーで民謡酒場まで連れて行ってくださった。本当に申し訳ないくらいに、初対面の出会いを大切に...
2019.02.21 08:382月14日 [昔の仕事仲間と再会するの巻]Part3「沖縄を離れる前に、もう一度お会いしたい」という、こちらからのリクエストで、JICA沖縄国際センターの前川さんと、那覇市前島にある居酒屋「魚河岸」で待ち合わせる。先方指定の時間が19時半と、いつもよりやや遅かったので、「一つ宴席をこなしてから来るのではないか」と、我々は予想していた。そして、いつもの通り若干遅れ気味で店に入ってきた前川さんは、馴染の大将や女将さんに挨拶すると、片手でやあやあという身振りで軽く会釈をしながら座席に到着。その後は欧米人さながら大きく手を広げてハグ。熱い抱擁を交わした後は、小上がりにドサっと腰掛けるや否や「いやあ、模合(もあい)にひとつ出てきたヨ〜」と言った。「模合(もあい)」とは、沖縄(及び鹿児島県奄美群島)独特の文化の一つ...
2019.02.18 14:262月12日 先島諸島へのショートトリップを断念いろいろ考えた結果、先島諸島へのショートトリップはとりやめにした。理由としては、1.本島に不在の間、車を安全に停められるのかどうかが心配だった空港などのウィークリー駐車場などは、車高制限があったり、車を預ける際に鍵も一緒に預けなければならなかったりと、キャンピングカーには不利な条件が多い。一般車両と違い、空港などに気軽に車を預けるわけにもいかない。知人の紹介やインターネット、旅行会社などで、方々探してやっと見つけた駐車場だったが、やはりそこも夜間は管理人不在で、監視カメラなどのセキュリティ対策も万全ではない。そのことが、計画を進めながらも、ずっと頭の片隅で気になっていた。まあ大丈夫だろうとは思っても、モヤモヤを感じながら旅をするのは嫌だ。
2019.02.17 10:502月11日 『沖縄の心 瀬長亀次郎回想録』を読む本書は、戦後沖縄のカリスマ的存在であり続けた政治家・ジャーナリスト、瀬長亀次郎(1907-2001)の回想録。 地元紙「沖縄タイムス」に1990年、100回にわたって連載され、1991年に『瀬長亀次郎回想録』として出版されたものの改題・新装版である。「米軍に最も恐れられた男」亀次郎。不屈の活動家でありながら、『沖縄からの報告(1959年)』で米軍占領下の沖縄の社会経済を極めて詳細に調査・分析するほどの学者肌。ひとたび演壇に立てば、万を越す聴衆を奮い立たせる闘士であり、家に帰れば男女平等主義者を地で行く家庭人。沖縄中心主義者であり、同時に国際主義者でもある。貧しい境遇から医学を志す農村の利発な少年が、このような多面的な顔を持つ亀次郎になった遍歴...
2019.02.17 05:392月10日 カメジローの「不屈館」を見学する先日、映画『米軍が最も恐れた男〜その名はカメジロー』で、その生涯について学んだ、戦後沖縄の政治家・ジャーナリスト、瀬長亀次郎。彼の記念館である「不屈館」が那覇市内にあることを知り、見学することに。