コザは、米軍嘉手納基地の東側に面し、現在でも米軍関係者が多く住む「基地の街」だ。
第二次世界大戦後、上陸した米軍が建設した基地や施設、および難民収容所「キャンプ・コザ」を中心に、米軍相手の飲食店や商店、質屋、バー、ライブハウスなどが軒を連ね、市街地を形成。
ベトナム戦争時には、「コザ市の全体収益の約80%が基地関係」であったといわれている。
2015年2月ころ 銀天街商店街に「コザ十字路絵巻」と銘打った170mに渡る壁画が描かれた。
コザ十字路(コザじゅうじろ)は、沖縄県沖縄市照屋にある交差点を中心とした繁華街。
「コザ・ミュージックタウン」前の駐車場に車を停め、建物の中にある「エイサー会館」に立ち寄る。
「エイサー会館」では、エイサーの歴史を学ぶコーナーから、エイサーの映像鑑賞、体験スペースがある。
通りを渡り、近くの一番街商店街を散策へ。
1975年に沖縄で初めてアーケード化した商店街として知られる一番街。
こんなところにも、森の妖精キジムナーの姿が。
コザは、「エイサーの街」ということで、
一番街入り口付近では、沖縄市のエイサーキャラクターのモニュメントがお出迎え。
商店街の路地の至る所に、エイサーキャラクターのマンホールが。
商店街に入ると、多くの店はシャッターが下りていたが、それでも数件の店と、介護施設や生活支援、就労支援施設などは開いていた。
しばらく歩くと、
「沖縄市音楽資料館おんがく村」という看板が目に入る。
ここは、コザが牽引してきた戦後沖縄の音楽の歴史を紹介するスペース。
さつそく中に入って見学することに。
コザは、かつて「基地の街」として歓楽街がひしめいていただけに、アメリカ文化の影響を受け、この街から沖縄人によるロック、フォーク、ジャズといったジャンルを問わず、多くのバンドやグループを輩出してきた。
現在では、例えばロックバンドOrange Rangeなどは、メジャーになったあとも、変わらずコザに根拠を置いている。
昔懐かしいレコードや、バンドの写真などが展示されており、沖縄音楽のCDコレクションなどは試聴することができる。中心には、昔懐かしいジュークボックスが、どかっと置かれている。
「ちょっと聴いてみますか?」と館長さんがジュークボックスのボタンを押すと、懐メロらしい曲が流れてくる。
昔は、米軍基地から払い下げられたこうしたジュークボックスが、街の至る所にあったらしい。
コザを有する沖縄市は「音楽の街」を前面に打ち出しており、生演奏を聴かせるライブハウスやバーがいくつもある。
スタッフの方に、コザのライブハウスを幾つか教えてもらい、後日改めて来ることにする。
商店街をさらに進むと、スクーターの座席に猫がちょこんと座っている光景を目にする。
写真を撮っていると、店の中から店主らしき男性が、雑誌を手にして近寄ってくる。
男性が手にしているのは「猫雑誌」。
なんでも 、この猫は「幸運を呼ぶ猫・チロちゃん」として有名らしく、それら猫雑誌に彼女の記事が掲載されている。
この店は縁起物を売る「優心」というお店。
店主の新川さんが2012年、店の前にうずくまっていたチロを目にし、世話をすることになり、しばらくして、彼女は耳が聴こえないことに気づく。
事故に遭わないよう、リードをつけて飼っているが、彼女は両目の色が違う珍しい「オッドアイ」の持ち主で、西洋では「ラッキー・キャット」されており、すぐに商店街の人気者になったという。
満面の笑顔で語る新川さんが、箱入り娘を溺愛する親バカ(失礼)のように思え、なんとも微笑ましく、ついつい勧められるままに、記念に「チロの写真入りのキーホルダー」を購入してしまう。
シャッター街の商店街。
それでも、こんなちょっとした出会いがあるのが面白いところだ。
さらに歩いて行くと、壁に文字を書き込む男性が。
この方は、市内在住のデザイナーさん。
「コザのまち なかよし壁画」を描き、街の活性化に一役買っている。
この辺りは、映画のロケ地としても有名。
レトロな雰囲気の中にも、新しい風が吹き始めている。
シャッター街も、少しずつ輝きを取り戻しつつあるようだ。
今日は時間切れで、散策もここまで。
次回は近くにある「沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリート」へ行き、コザの街の歴史について触れてみたいと思う。
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