2019.06.26 17:476月18日 富山市[富山市民俗民芸村(篁牛人記念美術館、売薬資料館、他)](70km)今日は、富山県観光の初日である。まず初めに県立博物館から、ということでネットで検索すると、「県立博物館」としてヒットするのは「富山県立山博物館」のみ。「富山県立山博物館」か。さすが、「立山」があるだけに、山専門の博物館があるのか。すごいなぁと思っていたら、読み方が間違っていた。富山県立山博物館❌とやまけんりつ・やま・はくぶつかん⭕️とやまけん・たてやま・はくぶつかんが正解。ずいぶんと紛らわしい名前をつけたものである。そんなわけで、さらに検索を進めてみたところ、富山市内にあって敷地内に数ヶ所の博物館がまとまっているところを見つけたので、そこへ行ってみることに。ということで、やって来ました「富山市民俗民芸村」。
2019.05.30 19:395月26日 長野県豊丘村→飯田市[飯田市街地散策(川本喜八郎人形美術館)] →遠山郷(54km) ここ、道の駅「とよおか マルシェ」は、地元のスーパーとバス停を併設した地域密着型の道の駅。利用客は、観光客よりも地元の方が多いように見受けられる。ということで、⭐️おすすめの道の駅認定⭐️ 道の駅「とよおか マルシェ」
2019.05.19 00:095月3日 伊万里市散策②[街ブラでオブジェ鑑賞の巻](37km)伊万里には、窯元を訪ねる以外にも、伊万里の街ブラという楽しみ方があるという。街の要所要所に、伊万里焼のオブジェが飾られているのだ。さっそく、手に入れた地図を片手に街を散策することに。
2019.02.15 11:102月8日 コザ 一番街を散策するコザは、米軍嘉手納基地の東側に面し、現在でも米軍関係者が多く住む「基地の街」だ。第二次世界大戦後、上陸した米軍が建設した基地や施設、および難民収容所「キャンプ・コザ」を中心に、米軍相手の飲食店や商店、質屋、バー、ライブハウスなどが軒を連ね、市街地を形成。ベトナム戦争時には、「コザ市の全体収益の約80%が基地関係」であったといわれている。2015年2月ころ 銀天街商店街に「コザ十字路絵巻」と銘打った170mに渡る壁画が描かれた。
2018.11.16 03:2611月15日 富士川町→甲府市[山梨県立美術館・山梨県立文学館]→富士川町(35km)今日は一日芸術と文学の日。甲府市内にある「芸術の森公園」へと向かう。広い敷地内には、向かい合うように山梨県立美術館と山梨県立文学館が配置されている。
2018.09.05 23:249月5日 天童市内散策(24km)昨晩、台風21号が強い勢力を保ったまま日本海に到達し、東北地方は暴風雨に見舞われた。キャンピングカーは激しく横揺れしたが、周囲にも停車中の車は多く、一晩なんとか持ち越して、朝には風雨は収まり晴れ間も見える青空となっていた。
2018.08.30 18:168月30日 三川町→酒田市→三川町(38km)午前中、東北地方を横切る秋雨前線の影響で、猛烈な雨が叩きつけるように降り続いた。駐車場のすぐ近くに落雷があったが、事故にはならなかった模様。様子を見ながら車の中で大人しくしていた。
2018.08.06 02:088月4日 田舎館で田んぼアート鑑賞道の駅に隣接する「田んぼアート・第2会場」を見に行く。ここは田舎館村に2ヶ所ある田んぼアート会場のうちの一つであり、もう一つは村役場の近くにある。入場料300円を払って展望台に登るが、そこには田んぼ脇から見るのとは全く異なる光景が広がっていた。
2018.08.04 23:448月2日 青森市浪岡→青森市街(25km)居心地の良かった道の駅「なみおか」を出発。昨日の予約の通り、青森市街のホンダカーズに行き、キャンピングカーの車体の錆止め処理を依頼する。処理は2種類あり、床面の表面に錆止め材を塗布する「スリーラスター」と、オプションで車体の中空部位に塗布する「ソルトガード」で、合計10万円弱(5年保証)かかってしまう。かなりの出費だが、普段手入れができない車体部分が錆びてしまうよりはマシなので我慢する。新青森駅のカフェで軽い昼食。三内丸山遺跡方面へのバスの時間待ちをする。
2018.07.20 21:587月19日 美深→音威子府→宗谷岬→稚内(190km)⑴今日は、再び曇り空を見上げてのスタートです。人口約800人、内2割ほどが寄宿生活を送る高校生という〝北海道で一番小さな村”音威子府村へ。o-toyne-pとは、アイヌ語で〝濁りたる泥の川”〝漂木の堆積する河口”〝キレ曲がる川尻”の意味だとか。この村に横たわる天塩川が、この村の歴史を物語っているようです。この川沿いには、かつて、アイヌの集落コタンがあり、幕府の探検家であった松浦武四郎(後に開拓判官となった)が立ち寄ったとされ、そこでの交流によって〝北海道(北加伊道)”という地名や、アイヌ語を生かした地名の数々を誕生させたといいます。彼は、その後、政府側と北海道開発の方針を巡って対立し、上り詰めた高官職も あっさり退き、天皇陛下から賜った従五位の官位も返上...