9月6日 ② 山形市山寺(立石寺・芭蕉記念館)→天童市(20km)

仁王門から右手に上がると、戦国武将でこの地を治めた最上義光と家臣たちの位牌を納めた祠がある。
そのすぐ上が奥の院となり、参拝者が目指す最終地点。
この先は、修行者のみ入ることが許される。

崖には、修行用の小さなお堂が顔を覗かせている。

宿坊らしき建物では、洗濯物であろうか、女性物のブラウスが風に乗って そよそよと漂い、その隣では、猫の額ほどの畑でシソやナス、ピーマンなどを作っており、なんとも生活感ある風景が。
最上部には修行道場、その下には御住職の居住空間、山下にはジオラマのような町の人々の営みが見えるという
見事なコントラスト。

参道の石段は1000段ほど。登りでも、ゆっくり登って30分もかからないが、杉木立に混じる楓の紅葉、古色蒼然としたお堂や磨崖仏、路傍の菩薩像など、短い参道に多彩な風景が見られるのがいい。
自然の地形を利用して作られた参道なので、ところどころ人が一人通れるくらいの狭さになっているところも。
羽黒山の石段の半分もないので、あっという間に登山口に戻ってしまった。

駐車場で昼食を食べ、しばしの休憩を挟み、「山寺芭蕉記念館」へ行く。
記念館の向かい側には、さきほど訪れた「五大堂」と「開山堂」が。

有名な『奥の細道』では、芭蕉は江戸を出発し、東北地方を宮城を通って岩手の平泉まで北上し、そこから山形に入り、日本海側へ抜け秋田の象潟に到達。そこから海沿いを南下し敦賀、さらに内陸の大垣へと、一部で馬の背を借りながら、5ヶ月ほどで踏破している。

芭蕉はその全日数の四分の一を山形で過ごしており、当初予定に入ってはいなかった立石寺を尾花沢の友人に勧められて訪問し、「静かさや〜」の名句を生んだ。全国に芭蕉ゆかりの記念館が幾つあるのか知らないが、ここ山寺の地に芭蕉記念館があるのは、そうしたゆかりがあるからである。

記念館には展示室が2つあり、芭蕉に関する展示はそのうちの1つのみ。展示数は多くないが、芭蕉直筆の作品が多数展示されている。

目を皿のようにして、一つひとつの作品を賞でていたら、芭蕉の名を漢字ではなく、ひらがなで「はせを」、変体仮名では「者世遠」と、句に添えているのを発見。活字だけを追っていては知る由もないことを、知る。感慨もひとしおだ。

さらに、この記念館には直筆の「句文懐紙」が数点展示されている。

句文懐紙とは、当時のメモ用紙のような和紙に、折々の芭蕉の旅の印象を綴った短文と、それにまつわる俳句が書かれたもの。俳句だけでなく、その背景となる心情が綴られているので理解が深まる。

また、この記念館では、芭蕉の生涯や『奥の細道』の旅程を再現したVTRが鑑賞できる。

リアリズムとしての俳句から、一歩進み、フィクションを織り交ぜながら、芸術としての俳句を確立した芭蕉にとって、『奥の細道』が非常に意義のある旅であることが分かる映像となっていた。



帰りしな、ふと通り沿いの民家の塀を眺めていると、猿🐒がこちらを見つめていた。インドの寺院では当たり前の光景だが、突然目の当たりにしてビックリ。ヒグマ、シカ、サルと続き、日本の道路のサファリパーク現象化は、いったいどこまで進むのだろうか。

キャンピングカーで日本一周

キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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