3日連続の晴天である。
インバーターを使わなくなってから無駄な電力消費がなくなったので、ソーラー充電で電気がどんどん溜まりそうな予感。なんとなくワクワク、心ウキウキしてしまう。
今日は、先ずKが歯医者(南アルプス市)へ行き、その後甲府市内の観光をする予定。
ガムを噛んでいて詰め物が取れてしまったK。以前もインドのバラナシで、その翌年はモンゴルのウランバートルで同じ目に遭っている。その時は、どちらもキャラメルのような飴であった。今度こそ三度目の正直であると思いたい。幸いに、取れてすぐだったので、削る必要もなく歯に詰めしてもらって終了。
ネット検索して、近所にある感じの良さそうな歯医者さんをチョイスして予約したが、今回は当たりだった。
さて、続いて一行は甲府市へと走り、「山梨中銀 金融資料館」に到着。
(写真撮影不可のため、以降の写真は同資料館及び山梨観光案内等の公式ホームページより転載)
ここは昨日、県立博物館に置かれていたパンフレットで存在を知った。各県に着いたら、まず県立博物館に足を運ぶのが情報収集には良い。道の駅の観光案内コーナーも同様。
山梨中央銀行は県内唯一の地方銀行。創立50周年を記念して1992年に、この資料館を開館した。
一地方銀行がこのような「金融の歴史に関する資料館」を設けているのは、珍しいのではないだろうか。例によって写真撮影不可だったが、係の方が親切にいろいろ解説してくださった。
展示は大きく2つに分かれ、「山梨中央銀行の歴史」と、「日本の貨幣制度の歴史」についての展示になる。
山梨中央銀行の前身は、明治7年に地域の産業振興を目的に設立された「興益社」。この時も銀行設立を目指していたが出資金が集まらず、銀行類似会社となった。その後明治10年設立に「第十国立銀行」となり、昭和16年に県内の有信銀行と合併し、現在の「山梨中央銀行」となった。
山梨の国立銀行である「第十国立銀行」は、実際は9番目の銀行だったが、9の数字が「苦しむ」に通じることから、その数字を避けたものだ。そのあと熊本に設立された銀行が9の欠番を埋めて「第九国立銀行」になったというから面白い。
また、長野県に現在も残っている「八十二銀行」の名前の由来についても「トリビア」を教えてくれた。
当時、長野県の上田にあった第十九国立銀行と、松代にあった第六十三国立銀行が合併して長野最大の銀行ができた。19と63を足して82と命名されたが、実は鳥取にはもともと「八十二銀行」があったという。幸いなことに、上田と松代が合併された時には、「元祖」八十二銀行は第三銀行(現在のみずほ銀行)に合併されていたため問題にはならなかったらしい。
この資料館の展示に入ろう。
ここには「興産金預通」という、我が国初の預金通帳が残っている。
現存する預金通帳としても日本最古のものらしい。当時の金利は7.2%だったとか。なんともうらやましい。
開業当初は、こうした全国の国立銀行が独自に紙幣の発行権を持っていた。
具体的には、明治政府の中央銀行が製作した紙幣が、各銀行にそれぞれの資本金額に基づく量を割り当てられ、それに各銀行が押印して流通していたという。
第一回目の発行は、日本に印刷技術がなかったのでアメリカで印刷されたものが使用された。
絵柄も、どことなくアメリカンな感じ。
各国立銀行による紙幣の発行は2回に止まり、その後、中央銀行が紙幣を直接発行することになった。
貨幣では、中国の「布幣」や「刀幣」と呼ばれる珍しい貨幣、和同開珎のもととなった唐・開元通宝も展示されている。
甲斐国は「甲州金」と呼ばれ、多くの金を産出した。江戸時代の金貨鋳造は幕府によって行われたが、甲州では例外的に「甲州金」が地方金貨として許可されていた。それらは「古甲金」と呼ばれ、100種類以上の金貨がある。
一説によると、「金に糸目はつけない」、「太鼓判を押す」という言い方は、金の鋳造方法に由来することを初めて知った。
江戸時代の貨幣制度のルーツは「甲斐武田氏の甲州金」であったとされる。
基本として金貨・銀貨・銅銭の3種類を用いていたが、ここには「包銀」や「豆板銀」など、変わった形の貨幣も豊富に展示されている。
刀の鞘を払うと中に「一朱銀」が入っているものは面白かった。
今も海外旅行の防犯グッズに、ベルトの真ん中にチャックがあって、そこに紙幣を隠すことが出来る、いうようなものか。それとも、越後屋が悪代官に贈る「最中」のようなものか。
江戸時代には、他にも「藩札」や一部で「私札」が発行された。明治に入ると「太政官札」、「民部省札」、「明治通宝」、「西郷札」など様々な紙幣が発行され、貨幣制度は相当混乱したらしい。
その他、外国の貨幣も揃っており、とても珍しいものとしては「ヤップ島の石貨」という馬鹿デカイ石の貨幣も展示されていた。
(右側の大きな円盤がヤップ島の石貨)
いろいろ珍しいものを無料で見せていただき、感謝して資料館を後にする。
次に、歩いて5分ほどのところにある「印傳博物館」を見学する。
(写真撮影不可のため、同店及び、甲府印傳商工業協同組合等のホームページより転載)
ここも、県立博物館に置かれていたパンフレットで、その存在を知った。
「印傳」とは、鹿の皮に漆で模様をつけた工芸品で、主にハンドバッグや財布、アクセサリーなどに用いられる、甲州に古くから伝えられる伝統工芸品である。
伝統技法を継承する「印傳屋 上原勇七」というメーカーが、店内の2階を博物館として公開し、江戸時代以前から昭和前期に至る古典作品や道具などを展示している。
トンボや花柄などどれも可愛らしいデザインなのだが、専用の刃物で切り抜く型紙の模様は、どれも手作業とはとても思えない精密な出来である。
博物館では、5分間の制作過程ビデオが鑑賞できる。
過程は以下の通り。
浮世絵の塗り師を思い出したが、こちらも負けず劣らず凄い。
1階の売り場を見ていると、比較的お手頃な財布や印鑑入れなどの製品もあり、あれこれ見ているうちに、つい欲しくなってしまう。
適当に切り上げて店を出た。
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