深夜、北海道胆振地方東部を中心に、最大震度7という、震度としては東日本大震災に匹敵する地震が襲った。電気・水道といったライフラインは全道規模でストップし、山間部など一部で極めて広範囲に及ぶ土砂崩れが見られ、すでに死者・行方不明者も出ているとのこと。先日訪れたばかりのゆかりの地。被害状況が気になる。
もやのかかった気分ではあるが、ここにじっと留まっているわけにも行かぬので、予定通り山形市山寺にある「宝珠山 立石寺」へと向かうことにする。
山門付近は、ちょっとした門前町になっていて、土産物屋やレストラン、有料駐車場が並んでいる。
山門前の駐車場に車を停め、近くの土産物屋で、Kが以前から欲しがっていた登山杖を買う。この杖はKの夜間防犯グッズとしても活躍する予定。
この山寺は、芭蕉が『奥の細道』で、「静かさや岩に沁み入る蝉の声」と詠んだ名刹である。
鎌倉時代は、東北仏教界の道場の中枢であり、一千人余りの修行者がここで暮らしていた。現在、平安時代からの山岳仏教の歴史を物語る日本屈指の霊場とされる。
急な石段を登ると、薬師如来を祀った根本中堂がある。
登山道入り口へと向かう道の途中に、芭蕉さんと弟子の曾良さんの像も。
山門で入山料を払い、杉木立の中の参道を登って行く。
「空也塔」と彫られた塔が。
軍隊関係の供養塔や個人の墓もある。
「もや部隊、いふ部隊」とあり、気になって調べてみると、太平洋戦争で召集され、戦死された山形、岩手出身で結成された部隊であった。
さらに進むと、「せみ塚」と書かれた看板が。
これは芭蕉の句をしたためた短冊が埋められている場所とのこと。
その先の弥陀堂は、長い歳月をかけて岩の壁面が自然に削られたもので、その形が仏の姿に見えた人は幸せになるらしいが、そう言われれば、右手を前に出している仏に見えなくもない。
仁王門で一休み。この中には、お馴染み仁王像、後方には閻魔大王のお姿が。
後から来たカップルが、像を覗きこみ「何これ? 相撲取り?」と一言。「マジか⁈」と、思わず心の中でツッコミを入れる。
仁王門をくぐり、最初に左手にある石段を登ると納経堂と開山堂がある。
開山堂は寺の開祖・慈覚大師の尊像が安置されており、お坊さんが毎日食事をここに運んでくるらしい。
そのすぐ上にある五大堂は修行のための場だが、観光客にとっては、眼下にJR仙山線・山寺駅を望める絶好の展望台となっている。
山形方面から来た緑と赤のラインの列車がホームで止まっている。すると、仙台方面から山際を4輌編成の列車がやって来て、小さな駅でしばし向かい合い、待っていた列車は音もなく発車する。まるで、子供の頃の憧れだったNゲージのジオラマそのままの光景だった。
0コメント