灯が映える 夜の奈良井宿を歩くの巻
奈良井宿は、江戸の板橋宿、京都の守山宿のどちらから数えても34番目に位置するという、まさに中山道のど真ん中にあるという宿場町。
また、木曽街道11宿の中で最も標高が高い位置にあり、その町並みは「奈良井千軒」と謳われていたほどの賑わいを見せていたという。
1978年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、
2007年には、「美しい日本の歴史的風土百選」に選出、
2016年に「日本遺産」認定された奈良井宿は、今なおここを訪れる観光客が絶えない。
近くにある道の駅「奈良井 木曽の大橋」の駐車場で少し休んでいる間にも、観光客が大勢行き来しているのがわかる。
おまけに今日は、快晴の土曜日である。
この状態では、せっかくの風情ある宿場町をカメラに収めようとしても、行き交う観光客の姿しか写らない、ということは、馬籠、妻籠の宿場で経験済み。
それならば、と思い切って日中の時間を避け、今日は夕暮れ時から奈良井宿の宿場町散策をすることに。
宿場の商店街が店じまいを終え、駐車場から観光客の車が消えた頃、
KY夫婦は車を飛び出して、待ってました‼︎とばかりに、奈良井宿へと向かったのであった。
人影まばらな宿場街に、ぼんやりと灯りが点り始める。
ここ奈良井宿は、日本橋から京都までの距離が、東海道よりも40 kmほど長い、大回りルート。
険しい山道が続き、降雪時には通行が困難であったにもかかわらず、往来はさかんであったという。
東海道の大井川、安倍川の人足による川越や、箱根山の険しい峠越え、江戸幕府による厳重な「入鉄砲出女」の取り締まりを避けて、中山道を選ぶ者も多くいたそうだ。
ちなみに、中山道の旅籠の宿代は、東海道よりも2割ほど安かったのも魅力であったらしい。
通りには曲げ物、櫛、漆器などの店が軒を連ね、ちょっとしたショッピングモールのよう。
木曽路のお土産物を、ここで求める旅人も多かったというのも頷ける。
まだ、この宿場には水飲み場も多く、旅人にはこのサービスも人気があったという。
人を呼び込む先人の知恵は、今に生かされているのだろう。
道中、敵の侵入を防いだり、大名行列のすれ違いを避けるなどの目的で作られたとされる「鍵手(かぎのて)」かあり、道が曲がっている。
道中の守り神「道祖神」も置かれている。
少し先に神社があり、
その手前には高札が。
この辺りが、宿場町の端のよう。
ベンチで休憩をとり、もう少し暗くなるのを待ってから、ゆるゆると折り返すことに。
うす暗がりに、灯りが映える。
日本家屋の伝統美、格子戸が涼しげで風情を感じさせる。
高性能カメラも、高度な技術もない我々には、この辺りが限界ということで、周囲が真っ暗になったところで、宿場をあとにする。
この後、一行は高速道路を走り、24時間営業のコンビニが併設されている、安曇野の「梓川SA」で宿泊。
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