昨晩から泊まっている、道の駅「みずなし本陣ふかえ」は、雲仙普賢岳の麓、水無川の河口沿いにある。
駐車場正面で噴煙を吹き上げる雲仙普賢岳も、今朝は曇り空で、姿を隠している。
背後にある道の駅と、公園の先には、有明海の水平線が、かすかに顔を覗かせている。
この道の駅は、雲仙普賢岳の山頂から、沢状地形を真っ直ぐ海に向かって伸ばしたところにある。
ここは、1991年の雲仙普賢岳噴火、翌92年の大規模な土石流発生により、大きな被害を被った、
水無川に沿って流れ落ちてきた土石流が、あたり一帯を埋め尽くしてしまった場所。
道の駅「みずなし本陣ふかえ」は、まさに、その流れ出した土石流が堆積した土地の上に建てられているということになる。
駐車場の海側、のどかな風景の公園のように見えたその場所は、近づいてみると、思わず手で口を覆ってしまうような、災害の爪跡を保存した『土石流被災家屋保存公園』であった。
大自然の猛威に、只々、言葉を失う。
災害発生時には、すでに住民は避難済み。
この屋根の下敷きになったのは、家財道具一式のみと知り、安堵する。
しかし、被災者は土地を追われ、移転せざる得なくなってしまった。
雲仙普賢岳に関わる災害を振り返ってみる。
1990年、11月17日、普賢岳が198年ぶりに噴火。
噴火活動はその後も続き、山頂付近には地中から噴出したマグマによる溶岩ドームが、
徐々に形成されていく。
1991年、6月3日、溶岩ドームの崩落により大規模な火砕流が発生。
死者40名、行方不明3名、負傷者9名の大惨事となる。
その後も小規模の火砕流が続く。
1992年、8月、この一帯を埋め尽くした大規模な土石流が、一週間に渡り発生。
多発していた火砕流により、普賢岳から水無川流域にかけて広範囲に渡る火山灰層が形成。
水を通さないこの地層により、大雨の際に大量の雨水が土砂を押し流し、
急斜面ではひと抱えもある石をも巻き込んで、大規模な土石流を発生させたのだった。
普賢岳の噴火活動はその後も続く。
1996年、5月1日に最後の火砕流(累計9432回)を発生させたあと、活動は終息。
1998年、復興事業の一環として、この地に道の駅が建設される。
同時に、土石流に埋まった家屋は被災者の合意の上、こうして「土石流被災家屋保存公園」
として残されることになったそうである。
道の駅「みずなし本陣」には、土産物屋やレストランといった観光施設の他、普賢岳噴火の様子を体験できるビデオシアター(有料)もある。
午後になり、雲仙普賢岳が、少しずつ姿を現し始めた。
映像で見慣れた、あの雲仙普賢岳が、こんな至近距離にあるとは。
大自然の脅威に晒されながら、それでも逃げることなく、先祖代々受け継がれてきた土地を守り続ける人々の営み。
その一方で、地下のマグマによってもたらされる癒しの湯、という天然の恵み。
そこに住まう人々の、さまざまな思いを噛み締めながら、
今夜も、この土石流の堆積地の上で、一晩を過ごすことにする。
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