アジア主義とは、「西洋列強の植民地化を免れるためには、アジア諸国が手を繋ぐ必要がある」という思想である。
もちろん、「アジアとは具体的にどこまでを指すのか」という問題はあるのだが、ここでは問題にしない。
そして、本来は自国の防衛思想であったアジア主義は、ひるがえって自国のアイデンティティーの拡大、ひいては他のアジア諸国への侵略の思想へと転じる可能性もまた有している。
それは、「アジアで真っ先に開国し、西洋文明を取り入れたのが日本であり、アジアのリーダーたる日本が、他のアジア諸国を指導することは必然である」という発想である。
そして、それはそのまま、「政治が腐敗し国家の体を成さない清朝や李氏朝鮮、あるいは辛亥革命により追われた清朝支配層(満州族)が逃げ込む満州地方に対し、日本が影響力を及ぼし占領することは、文明国(先進国)である日本の権利である」という考え方にまで行き着いてしまう。
アジア主義は実際、「大東亜共栄圏」というスローガンに衣を変え、日本のアジア侵略の理論的根拠として利用された。
当時のアジア主義者の中には、当初の理想や思惑は別にして、結果として積極的に朝鮮や中国への侵略行為に加担することになった者が少なくない。
だからこそアジア主義は、近代日本が抱える歴史問題の根源と言うべきもので、日本人一人一人が考えるべき課題である。
そして、明治から昭和にかけ多様なアジア主義者が活動していた中で、少なくとも宮崎滔天・民蔵の2人について言うならば、こうしたアジア主義の弊害とは一線を画した生き方であったとは言えるだろう。
このことは、孫文が残した「革命に命を賭けた者、それは宮崎兄弟なり」という一言に、十二分に表れていると思われる。(Y)
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