2019.06.24 09:286月14日 「名立谷浜SA」の怪 〜いつの間にか下りが上りに⁈昨日は、長野県の碓氷軽井沢インターチェンジから高速道路に乗り、新潟県上越市に入る。次に向かうのは、北アルプスの向こう側にある富山県だ。さすがに山越えは無理なので、ひとまず日本海側に出て、そこから海沿いに西に進むことに。そうして走り始めた上越自動車道下り線。ほんの2時間前まで、古城の脇で蕎麦を食べていた小諸、上田、千曲、長野、中野、信濃と、想い出の地を脇目で追いながら、あっという間に新潟へ。
2019.06.19 12:146月12日 島崎藤村『夜明け前』を読む「木曽路はすべて山の中である」の有名なフレーズで始まる『夜明け前』は、木曽街道(中山道の一部)の馬籠宿が主な舞台だ。先日、馬籠宿から妻籠宿まで旧街道を歩き、その後車で奈良井宿を通って塩尻まで抜けた。西に乗鞍連峰、東に中央アルプスと、山岳地帯を縫って伸びる木曽街道は、今ほど国道の整備されない昔なら、旅人はなおさら山の中の感を深くしただろう。小説の書かれた周辺と時代背景について『夜明け前』は島崎藤村(1872-1943)の晩年の作品。1929年から35年まで、『中央公論』に連載された。小説の主人公である青山半蔵のモデルは、藤村(本名・春樹)の父・島崎正樹である。小説が描くのは、1853年(嘉永6年)の黒船来航から1886年(明治19年)の半蔵の死までの30...
2019.05.12 17:454月28日 なぜ、秀吉はキリスト教を弾圧したのかを考えるなぜ、秀吉は外国人キリスト教宣教師やキリスト教信徒を迫害し始めたのか。その理由について、日本の高等学校の歴史教科書では、「長崎が教会領として寄進されていたことなどから、国内統一のさまたげになると考えた」 「キリスト教の布教が、スペインやポルトガルの侵略政策と結びついていたことを危険視した」等をあげている。しかし、昨今では、さらに重大な理由が他にもあったといわれている。では、一体、どんな理由があったのか。キリスト教に関する年表を作成してみたので、その流れに沿って真相を探ってみたいと思う。《 カトリックが世界布教を目指す 》
2019.04.29 09:09「牛深ハイヤ節」について牛深は、江戸時代、天草随一の良港であり、漁船だけでなく、日本各地からの帆船も立ち寄る賑やかな漁師町であった。天草諸島の南端に位置し、東シナ海や不知火海を南北に行き交う帆船にとって、牛深は絶好の停泊地となる。船乗り達は、常に風まかせだ。いったんシケに合えば、何日も港に足止めになる。彼らは牛深の街で空を気にしながら寝て待つか、酒盛りでもするしかない。「ハイヤ」とは、「南風(ハエ)」のことを指す。牛深から東シナ海を北上する帆船にとって、南風はなくてはならないものだ。一方、北に山を抱える牛深は、南風が吹くとシケになりやすいという。彼らにとっては、良くも悪くも南風が気になるわけだ。牛深に寄港した船乗り達、そして牛深の女性達が、船乗りとしての日常や夫の身を案じる気...
2019.04.24 09:524月15日 宮崎兄弟とアジア主義アジア主義とは、「西洋列強の植民地化を免れるためには、アジア諸国が手を繋ぐ必要がある」という思想である。もちろん、「アジアとは具体的にどこまでを指すのか」という問題はあるのだが、ここでは問題にしない。そして、本来は自国の防衛思想であったアジア主義は、ひるがえって自国のアイデンティティーの拡大、ひいては他のアジア諸国への侵略の思想へと転じる可能性もまた有している。それは、「アジアで真っ先に開国し、西洋文明を取り入れたのが日本であり、アジアのリーダーたる日本が、他のアジア諸国を指導することは必然である」という発想である。そして、それはそのまま、「政治が腐敗し国家の体を成さない清朝や李氏朝鮮、あるいは辛亥革命により追われた清朝支配層(満州族)が逃げ込む満州地...
2019.04.06 03:443月30日 宮崎の悲哀〜西南戦争と分県運動〜昨日、宮崎県総合博物館を見学した際、宮崎の「分県運動」についての展示があった。それによると、廃藩置県後の一時期「宮崎は鹿児島県の一部だった時期があった」というのである。「分県運動」とは、宮崎の鹿児島からの分離独立を求める運動であったのだ。
2019.04.01 05:393月24日 天岩戸神社の神主さんのお話について、考えてみた昨日、天岩戸を見学させていただく際に、神主さんが神話の話、解釈をお聞かせくださったのだが、その中身について、「あれ?」と思う箇所が、いくつかあった。ネットで検索してみると、他にも我々と同じような感想を持たれた方がいらっしゃるようだった。神主さんが話された内容とは、神話で神といわれているのは、実は人間であり、死んだ後に神の崇め奉られるようになった。菅原道真、乃木希典、明治天皇、みんな人間。同じように、天照大神も人間だった。それは九州の人間ならみんな知っているが、本州の人間が神にしてしまった。天照大神が岩戸に隠れて、世界が暗闇に包まれたというのは、阿蘇山が噴火した噴煙で、何も見えなくなったからであったからで、天照大神とは関係ない。神武天皇は、高千穂の峰で生...
2019.03.08 08:47コラム[奄美・沖縄の伝統飲料「ミキ」を飲んでみた]奄美大島の中心部・名瀬のスーパーでの買い物中、あまり食欲が無かったので、「のむヨーグルト」を買おうと飲料コーナーを物色していると、「花田のミキ」という変わったネーミングの、地元メーカーらしい紙パック飲料が目に留まった。
2019.03.07 23:272月27日 奄美大島に大型クルーズ船がやって来る⁈奄美大島の瀬戸内町は、人口8,500人ほどの静かな漁村。昨日訪れた、夢の楽園・加計呂麻島をはじめ、与路島・請島などの有人島や、無人島を有する。その海の碧さの虜となった旅行者も多く、都心から週末飛行機で飛んで来て、ボーと海を眺め、癒しのひと時を過ごすという人も多数存在するという。かくいうKY夫婦も、この手付かずの自然に見せられ、すっかりハートを射抜かれてしまった。そんなわけで、暇に任せて、この町についての情報を検索してみたりしている。すると、気になる記事が目に留まった。『【異聞~要衝・奄美大島(上)】「中国にのみ込まれる」大型クルーズ船寄港計画の裏に…』(『産経ニュース』2018.5.1 07:16配信)という記事である。(https://www.san...
2019.03.02 16:222月23日 奄美大島で国道58号と再会するの巻沖縄に2ヶ月滞在したので、国道58号には随分とお世話になった。那覇市から本島北端の辺戸岬まで、沖縄本島の西海岸を結んでいる。沖縄を大きく西海岸と東海岸に分けると、西海岸には那覇〜浦添〜普天間基地〜アメリカンビレッジ〜嘉手納基地〜読谷村〜恩納村〜名護市〜国頭村〜辺戸岬と、主要都市や米軍基地、観光ビーチなどが集中している。もちろん東海岸にも見所はあるが、例えば道の駅ぎのざから辺戸岬まで東海岸経由で行くと、ヘアピンカーブに近い山道が続き、ものすごく時間がかかる。それに比べて、西海岸は58号があるお陰で移動がとても便利だ。沖縄には高速道路もあるが、北は名護市までしか伸びていない。沖縄の話が長くなったが、2ヶ月間本島を行ったり来たりしていた我々にとって、58号は...
2019.02.23 02:362月17日 基地反対運動と県民投票参加の呼びかけの現状を追ってみた沖縄の幹線道路を通行していると、2月24日の県民投票への参加を呼びかける旗が、あちらこちらではためいている。
2019.02.23 00:302月15日 前川親方に学ぶ「ウチナーンチュ(沖縄人)精神」について昨晩の宴席において、前川親方がウチナーンチュ精神について滔々と語っておられたので、その誇るべき「ウチナーンチュ精神」について触れてみたい。1. イチャリバチョーデー(出会えば皆兄弟)確かにそうであった。前川親方は元より、名護市役所のKさんとは、たった一度宴席でご一緒させて頂いただけだが、我々が先島諸島へのショートトリップを計画した際には、親身になって駐車場を探してくださった。前川親方御用達のクラフトビール専門店「麦」のマスターは、沖縄方言に興味があると話しただけで、「それなら良いお店があるから連れて行ってあげる」といい、いつもより早めに店を閉めて、タクシーで民謡酒場まで連れて行ってくださった。本当に申し訳ないくらいに、初対面の出会いを大切に...