3月27日 日本最大級、歴史とロマンの「西都原古墳群」を散策するの巻


日本最大級の古墳群といわれる「西都原古墳群」へ。

西都原古墳群は、今から約1700年前の3世紀前半から7世紀前半にかけての古墳時代に造営され、

東西2.6㎞、南北4.2㎞の広大なエリアに、前方後円墳31基、円墳279基、方墳1基、地下式横穴墓11基、横穴墓12基、合計300余基の古墳が点在しているという。

南九州地方に多い古墳時代前期の「柄鏡形類型」前方後円墳と、地域を統括する首長の墳墓が、ほぼ同時期に形成されているというのが、この古墳群の特徴である。


今日は、まさに、30万本の菜の花と2000本の桜が咲き誇るという「花まつり」の開催期間中。


古墳群は、市民公園の様相を呈していた。



菜の花は、800人にも及ぶ市民ボランティアの手によって植栽されたという。


菜の花の先に見える、つば広の帽子のように見えるのが「鬼の窟古墳」(7世紀初頭)

西都原古墳群のなかでは唯一、開口した横穴式石室を持つ円墳で、墳丘の外側に土塁をめぐらせている形式の古墳は全国でも珍しいそうだ。


鬼の窟(おにのいわや)には、こんな伝説が。

コノハナサクヤヒメがニニギノミコトと出会う前の話。

昔、西都原に鬼が住みついていた。

ある日鬼は美しいコノハナサクヤヒメを見かけ、「是非とも嫁にしたい」と姫の父オオヤマツミに申し込んだ。

娘を鬼の嫁にするわけにはいかないオオヤマツミは「一晩で大きな岩屋を作りあげれば嫁にやろう。」と鬼に難題を出した。

しかし力持ちの鬼は夜明け前に岩屋を完成させ、安心して居眠りをし始めた。

そこへやって来たオオヤマツミは完成した岩屋を見て驚いた。

困ったオオヤマツミは鬼の眠っている隙に石をひとつ抜き取り投げ捨てた。

夜が明け、鬼が目覚めるとすぐにオオヤマツミがやって来て「石の抜けた岩屋に娘を嫁にやるわけにはいかん。」と姫との縁談を断った。

引き抜かれたとされる巨石は、石貫神社の参道入り口に鎮座しているという。

このような伝説の残る古墳、お墓であるが、子供たちにとっては、ただの小高い丘。

眼下には、真っ黄色の菜の花畑。

自分の墓の上に乗って、はしゃぎ廻る子供たちを見て、オオヤマツミさまは何を思う?



西都原古墳群には、もう一つ、有名な神話上の伝説がある。

ニニギノミコトコノハナサクヤヒメの伝説である。

高千穂の地に天下った天つ神の皇子「ニニギノミコト」は、ある日小川で美しい姫「コノハナサクヤヒメ」に出会い、一目で心を奪われてしまう。

ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメの父「オオヤマツミノカミ」に姫との結婚を申し入れ、めでたく結婚。

しかし、夫婦としてともに過ごした一夜が明けるとニニギノミコトは反乱部族の討伐へと旅立って行った。

時が過ぎ、無事帰還したニニギノミコトはコノハナサクヤヒメの懐妊を告げられる。

一夜限りの逢瀬で子どもを授かったことが信じられないニニギノミコトは姫の貞節を疑い「子どもはほかの国つ神の子ではないのか」と、姫の心を深く傷つけた。

あらぬ疑いを掛けられ、悲しみ怒りを抱えた姫はある覚悟を決めた。

「もし生まれてくる子がほかの国つ神の子であるなら無事に生まれてはこないでしょう。

しかし、天つ神ニニギノミコトの子であれば、たとえ火の中でもきっと無事に生まれてくることでしょう。」

そう言って、出口のない産屋にこもった姫。出産の時が近づき、姫は産屋に火を放った。

燃えさかる炎の中で無事に3人もの子を産み、姫は身の潔白を証明した。

そして、この二人のお墓がこちら。


実際の古墳は、残念ながら、時間の都合で確認出来なかったが、

神話の世界の神さまのお墓が本当に残されているとしたら、もはやそれは神話ではなく歴史である。


ここは、巨大な古代墓地。


小さな古墳の主は、一体どんな人生を送ったのたろう。

その一つ一つに語りかけたい気持ちになった。


古墳群の中には、道路あり、畑あり、人の営みあり。


宮崎は、神話と歴史が現代に息づく地であった。


(物語と写真の一部は、「西都原古墳群ホームページ」より、転載。)

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キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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