昨晩は、北谷町の美浜駐車場で一晩を過ごしたが、一晩中雨が降り続いていた。
今朝になって雨も止み、なんとか活動できそうなので、所用を済ませてから読谷村に移動し、「ユンタン ザミュージアム」を見学することに。
美浜駐車場に隣接する「アメリカンビレッジ」は、外国人観光客に人気のスポット。
朝早くだと、バスツアーも到着しておらず、人通りも少ない。
あれこれと諸用を済ませて、3時過ぎになり、「ユンタン ザミュージアム」に到着。
ここは、読谷村の「歴史民俗資料館」と「美術館」を統合し、昨年リニューアルオープンしたもの。
2000年、世界文化遺産に登録された「座喜味城跡」が隣接しており、読谷村の歴史・民俗について学べ、さらに沖縄の代表的なグスクの一つが散策できる。
沖縄は、こうした史跡と博物館が一体化した形式の施設が多いようだ。
この資料館は、1階が読谷村の歴史についての展示、2階が民俗・自然に関するもの、3階が美術館となっている。
12世紀ごろから始まる「グスク時代」。
中山王・察度は、1372年に中国・明国へ最初の進貢使節を派遣したといわれている。
1422年ごろ、中山国で城郭建築に優れた護佐丸という武将が、この地に座喜味城を築城。
資料館には模型の展示があるが、石垣に「石のくさび」を打ち込み強度を高める工夫が施され、これは他のグスクでは見られないものだ。
琉球王国時代には、読谷村に「喜名番所」が置かれ、早馬の中継地点として連絡の重要な拠点となっており、ペリーも立ち寄ったと言われている。
「現在は建物が再現され、道の駅「喜名番所」となっている」と書かれてはいるが、
実際に行ってみると、道の駅として機能はしていない。
とりあえずトイレは使用できるが、館内には簡単な展示物が置かれているだけ。
旅行関連のパンフレットが少し置いてあるが、他には何もない。
駐車場は狭い上に、近隣住民の無料駐車場と化してしまっている様子で、ゴミも散らかり放題。
佐渡島以来の、「残念な道の駅」である。
上陸と言えば、第二次大戦の沖縄戦において、米軍が1945年4月1日、沖縄本島に最初に上陸したのも、ここ読谷村の西海岸であった。
2階に上がると、第二次大戦中に村民が避難し犠牲となった、「チビチリガマ」(ガマとは自然洞窟のこと)の様子も再現されている。
実物は奥行きが30mほどあり、ここでは83人が集団自決したというが、実際は強制自決である。
このガマと対照的だったのが、ここから約1.5km離れたところにあった「シムクガマ」だ。
この巨大なガマには村民約1000人が避難していたが、ほとんどが捕虜となった。
これは、ガマの中にハワイ帰りの村民が2人おり、彼らが米軍と交渉することで、自決による犠牲者を出すことが無かったのだという。
他にも民俗・自然に関する展示がある。
これは「蝶形骨製品」という、ジュゴンの肩こう骨を利用した装飾品。
自然の骨から製作されたものとは思えないほど、見事な造形だ。
他にも、最も目を引いたのが、亀甲墓(カーミスクーバカ)の展示。
約450年前に建造されたものを参考に再現しており、中に入ることができる。
内部には厨子甕が安置されており、小さな部屋の中に居るような感じだ。
他にも、このようなものが置かれているそうだ。
沖縄は伝統的に風葬の習慣であった。
その方法は、亀甲墓の内部には砂利が敷き詰められた特別な場所があり、そこに遺体を安置する。
遺体は数年で自然に白骨化する。
それを待って洗骨し、厨子甕に納めるのである。
1959年に沖縄に火葬場が建設されてから、風葬の習慣は火葬に変わっている。
現在、沖縄の墓事情は、本土の人間にとっては興味深いもの。
なんといっても、その大きさ。
これが、都心部の住宅街では、一般の住宅と混在して軒を連ねている。
本土では、窓から墓地が見える物件を避ける傾向があるが、ここでは違う。
死者は、ここに生き、生活している者と共にあるのだ。
民俗関連の展示で、他に興味深かったのは「人の一生」と書かれた展示パネルだった。
妊娠から誕生、成人、結婚、厄年、死といった人間の生のサイクルにおいて、沖縄の人々が通過儀礼として、古くから伝わるしきたりを受け入れてきたことがよく分かる。
このあたりは、日本全国で見られる風習かもしれない。
10代前半になると、女性は手の甲や指に入墨をする。
もちろん、現在ではこの風習は見られないだろう。
これは、歌垣の世界。現代における、合コン、街コンということか。
このお祝いは、一度見てみたい。
こうして、一人ひとりの人生を大切に思うことを、この地の人々は身につけていったのだろう。
なかなか深い内容のある展示であった。
3階は小さな美術館で、陶芸品、現代絵画などの展示があったが、外が薄暗くなり始めたので、急いで資料館を出て、すぐ隣の「座喜味城跡」散策へと向かう。
琉球松の林に延びる石畳を登ると、2段の廓を形成する城壁が現れる。
城壁は日本のように四角ではなく、曲線を組み合わせて建設されている。
これは、守備に際してどこからも死角がないようにする目的があるらしい。
廓の中に入ると、中華系カップルがウエディングドレスを着て記念撮影をしていた。
きちんとしたカメラマンが、マナーよく撮影をしていたので、おそらく在日華人が運営する人気のパッケージツアーなのだろう。
2の廓から1の廓に登り、さらに城壁の上に登ると、読谷村の西海岸が一望できる。
外国人を乗せた観光バスが結構来ているが、夕暮れ間近の城跡は静かで、イギリスかアイルランドの城跡にでも来ているような錯覚を覚えた。
気持ちよく散歩したところで北谷町の美浜駐車場に戻り、宿泊する。
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