10月10日 二本松市[二本松歴史資料館]→飯舘村[道の駅 までい館]→湯川村[道の駅 あいづ](175km)②


重苦しい気分を引きずりながら二本松を後にし、一行は飯舘村へ向かう。

実は、KYが福島県の原発被災地を訪れるのはこれで二度目。

先月末、宮城県から福島県の浜通りを経由し茨城方面に戻ったとき、帰宅困難区域を初めて走った。原発施設は双葉町と大熊町にまたがっており、南相馬市から国道6号を南下すると、浪江町を過ぎ双葉町に入るところで、防護服に身を固めた警備員が配置されていた。ここからは自動二輪は走行できない。

この先、双葉町から大熊町を通り、富岡町の上半分ほど(つまり原発から半径約10km以内)までが、現時点での「帰宅困難区域」となっている。

国道6号や平行する常磐自動車道については、一般車両の通行は可能なのだが、これら幹線道路から東西に分かれる道路については、一部の例外を除いて許可証がなければ通行できない。

また、国道6号から見る限り、沿道の住居の前にはそれぞれにバリケードが設置されており、当然そこには住民はいない。沿道の店舗は若干のガソリンスタンドを除いて全て閉店しており、中には真新しい建物も混ざっている。

視界に入る田畑は雑草が伸び放題に荒れ果てている。

富岡町に入りしばらく走ると帰宅困難区域を抜ける。するといきなり通常の風景が眼前に展開する。

コンビニなどの店舗は営業し、自動車販売店には車が並んでいる。歩道には自転車を走らせる若者の姿。とはいえ、周囲の田畑はほとんどが作付けされておらず、作付けしても販売は難しいだろうと思われた。


そして、これから訪れる飯舘村。

2011年4月11日に計画的避難区域に指定されたが、2017月3月31日に避難指示を解除(帰還困難区域の長泥地区を除く)された。

二本松市から東に向かい、峠道を越えると「飯館村」の標識の隣に放射線量を示す電光掲示板が。


しばらく進むと、「もりの駅 まごころ」という看板があったので、覗いてみると休業中であった。


ネットで調べてみると、この施設は東日本大震災の3年ほど前の2007年11月に、「村民が心を込めて生産した農産物や加工品の販売をはじめ、人と人との交流の場」としてオープンしている。

近くには、このエリアを紹介する巨大な看板が。

観光客誘致事業としては、まだまだこれから、という矢先の事故だったのだろう。無念である。


その先には、巨大なシートで覆われた除染土の保管場所があった。

我々の脇をトラックが通り過ぎ、保管場所へと入っていく。

入り口にはマスクにヘルメットという装備の警備員が交通整理をしていた。


さらに進むと、昨年2017年8月にオープンした「道の駅 までい館」があり、
こちらの建物には結構車が停まっている。

今日は道の駅の定休日なのだが、併設するコンビニが開いていて賑わっているのだ。利用者は殆どが男性。ホワイトカラーの人達が多い様子なので、復興関連で働く方達が活用しているのだろう。 

真新しくピッカピカの建物は、原宿あたりにあってもおかしくないようなスタイリッシュな雰囲気。お洒落なテラスもあって、女性客が訪れるようになれば賑やかさも増すには違いないのだが……。

現在は、村の貴重な買い物場所として、無くてはならないオアシスのような存在と見受けられた。

周囲の田畑を見渡すと、当然だがあまり活用されているようには見えない。それでも、30分ほど車を走らせる間に、トラクターやユンボで土を起す農家を一軒、稲刈りを待つ田んぼをいくつか目にした。


コンビニで飲み物を調達し、車内でしばし休憩してから、再び今来た道を折り返す。

車はさらに、福島市郊外から安達太良山の北を越え、裏磐梯方面へと向かう。標高が上がると霧が深くなるが、山々は紅葉が進んで美しい。

猪苗代湖を経由して会津若松市へ。


隣接する湯川村にある「道の駅あいづ」に到着する。

キャンピングカーで日本一周

キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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