午前中は休養。午後、雑用を済ませ仙台城址へと向かう。
「青葉城恋唄」の知名度のせいか、「なんで? 青葉城じゃないの⁉︎」と思ったが、地図上の表記は「青葉城」ではなくて「仙台城」。
築城当時の正式名称は「仙台城」であり、江戸時代中期以降から別称として「青葉城」と呼ばれるようになったという。
仙台城は青葉山頂上にある。車は山頂を目指し、山道をくねくねと登っていく。
仙台城址入り口には「宮城県護国神社」の鳥居がある。したがって、この鳥居⛩をくぐることなく、本丸址には入ることが出来ない。
「青葉城本丸会館」「青葉城資料展示館」といったお土産物やレストランが入った建物を過ぎると、「宮城県護国神社」の御社がある。
この神社は、「天皇、政府側の立場で命を捧げた者」を祭神としており、賊軍となった仙台藩関係者は祀られていない。
仙台城は、戊辰戦争で官軍に占領され、政宗を祀る青葉神社は、明治7年(1874年)に北山五山・東昌寺敷地内に創建されている。
従って、現在の仙台城址は「宮城県護国神社」の管理下にある。どおりで鳥居⛩をくぐらずして、城内に立ち入る事が許されないわけである。
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」で人気となり、歴女(歴史オタクの女性)が政宗を祀る神社と勘違いして、この神社を参拝するようになり、さらに政宗がゲームのキャラクターとなったことで、アニメ系絵馬を奉納するオタクの聖地となった。
伊達氏を排除したはずの神社が、伊達氏の遺産である仙台城址を訪れる観光客によって支えられているとは、なんとも皮肉な現象である。
柱が残る本丸の屋敷跡。
その先では、政宗の騎馬像が黄昏ている。
本丸跡から眼下に仙台市街を眺める。
これは流石に気持ちが大きくなる風景だ。
本丸跡の隣に、「仙台城見聞館」という小さな施設(無料)があったので見学する。
本丸には天守閣がない。これは政宗が家康に配慮し、武力の象徴である天守閣を敢えて作らなかったのではないかとされ、代わりに壮麗な「大広間」が建設されており、秀吉が京に建設した聚楽第と類似する構造となっている。
今度は、少し角度を変えて、広瀬川を眼下にのぞみ、仙台市内を眺めてみる。
正面から見た政宗の騎馬像。
近くには、土井晩翠先生の記念碑も。
敷地内に「伊達政宗様が〜」という女性のアナウンスが鳴り響いているのを耳にするにつけ、「政宗公」ではなく「政宗様」というのは、仙台市民はどれだけ好きなんだと感心してしまう。
ともあれ、青葉山周辺はジョギングする市民がとても多い。
緑が多く市街を見下ろす雄大な景色があるので、城址が市民に親しまれているのは当然だろう。
さて、今晩の根城だか、仙台市内には道の駅がなく、車中泊スポットが見当たらない。
帰り際に偶然立ち寄ったガソリンスタンドの隣にコインパーキングがあったので、そこに停泊させてもらうことに。ここは比較的広く、静かで有難い。
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