9月19日 石巻市→松島町→石巻市(74km)

朝から晴天。絶好の観光日和である。
今日は日本三景の一つ、松島に行く。

松島も、当然、震災の被害を免れず、遊覧船の拠点となる松島海岸レストハウスでは、約1.7mまで浸水。
海岸中央部の広場前は、漁具、沈没船、錨、あるいは冷蔵庫や土産品と、あらゆるモノが沈んだ泥やガレキの山となり、中央桟橋の南側に停泊していた小型遊覧船は20数艘が桟橋ごと流されたり沈んだりで、未だ見つかっていない船もあるという。


松島に到着したものの、一行を乗せたキャンピングカーは松島海岸の中央駐車場には停車できず。仕方なく近隣の1日500円の駐車場に駐車。

近くには、「牡蠣食べ放題、40分2000円」の店が。昼時だったのでつい近寄ってしまうが、「40分」という微妙な時間制限もあり、やめた。

そのまた近くに数件ある食堂も、客引きの女性等が近寄って来ては、しきりに声がけをしてきて辟易する。店に入ったと同時にしつこく商品を勧める店では、たちまち踵を返すK Y夫婦にとって、最も好ましくない状況。

昼時だったが、この地では昼食を取らず、観光を済ませた後に石巻方面に出てから落ち着いて食べようと、固く心に誓う。


土産物屋の前には観光バスが並び、中国人ツアー客のバスも多く、中国語が飛び交う。魯迅が仙台に留学し、実在の恩師「藤野先生」を描いた事で、仙台・松島観光は中国人観光客にとっては、日本旅行の聖地と化しているからか。


現在、松島観光の目玉は遊覧船に乗ることらしい。船着場ではいくつかの周遊コースがある。船着場の近くには、小ぶりな天守閣のような建物があるが、これは300円で登れる展望台。我々は船にも乗らず、展望台にも登らず。

船着場から海上を見渡すと、前方に遠近とりまぜて小島が浮かんでいる。とりたてて大きな感慨はない。


小洒落たレストランや土産物屋が並ぶ表通りを入ったところにある、名刹・瑞巌寺に行く。


この臨済宗の寺院は平安時代に円仁が開創した天台宗延福寺が前身とされる。江戸時代初期に伊達政宗が大伽藍を完成させ、その後伊達家の信仰が厚い寺院であった。今年の春まで10年間、「平成の大修理」が行われていたが、現在は終了している。

長い参道を歩くと右手にちょっとした石窟群があり、その先で拝観料を払って本堂と宝物館を見ることになる。

境内には仄かに金木犀の香りが漂っていて、可愛らしい黄色の花を咲かせている。


最初に宝物館(青龍殿)を見る。ここでは瑞巌寺の収蔵品を展示しているのだが、伊達家の甲冑や刀、木造、歴代藩主の画像や調度品、能面などがあり、どれも見応えがある。

中でも、「本堂落慶記念特別展」の一つ「雲居和尚展」は、とりわけ興味をそそった。

瑞巌寺の中興の祖とされる雲居(うんご)和尚は、雲居希膺という名の禅僧である。伊達政宗が瑞巌寺の住持職として彼を強く希望していたが、政宗の生前にはそれが叶わず、その遺言を息子の忠宗が実現してこの寺に迎えられた。唐代の中国には、雲居道膺という彼と一文字違いの高名な禅僧がいたが、これは和尚の一種のリスペクトなのだろうか。

雲居和尚の著作で代表作は「往生要歌」だが、その印刷用の版木が展示してあった。これは、いわば人生の教えを伝える法話のようなものだが、その内容が108首の和歌のスタイルを採っている。伊達政宗の正室・陽徳院の依頼を受けて作られ、彼女はお付きの者たちにこの歌を覚えさせ、それに合わせて踊らせたとのことだ。往生要歌は庶民の間にも広まり、その時に使用されたのがこの版木である。

和尚は筆まめだったらしく、多くの墨跡を残しているが、画家が描いた釈迦図や達磨図に彼が付けた「画賛」(鑑賞者が加えた文章)も素晴らしい。
雲居和尚の遺偈(ゆいげ)と画賛(瑞巌寺HPより)


次に本堂を見学する。


庫裏(台所)から入って、鶯張りの廊下を歩き、藩主御成の間(上段の間)や伊達家親族が集う間など、狩野左京や長谷川等胤をはじめとする豪華絢爛な襖絵で飾られた部屋の数々に圧倒される。そして庭園は枯山水。まるで京都の寺院にいるかのようである。



寺院というより美術館を鑑賞する気分で瑞巌寺を堪能したあと、松島の風景を眺めに福浦島に渡る。
この島は、松島海岸と「福浦橋(別名「出会い橋」)で結ばれている。


島は30分もかからず散策でき、休憩所や見晴台、茶屋、弁天堂などもある。
弁天堂には誰が置いたのか、小さな達磨がびっしりと並べられていて可愛い。


見晴台からの景観も悪くはないが、「八百八島」といわれる島々(実際は260余島)が、ここからの眺望では確認できず、正直言って、先月訪れた秋田の象潟の風景の方が感動を覚えた。

多分、象潟は「芭蕉が訪れた250年前は、ここは海であり、そこにこれらの松林が小島のようにポコポコ浮いていたんだなあ」と見るものの想像力をかきたてるから、より印象が強かったのだろう。


と、ここでスタミナ切れ。時間は3時前。二人は松島を離れ、隣の東松島市で昼食兼夕食を食べてから帰路につく。

同じ道の駅の温泉に入り、久々に観光一色の一日を終えたKYであった。

キャンピングカーで日本一周

キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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