8月18日 紫波町→盛岡市渋民→雫石町(103km)

久しぶりに清々しい青空。心地よい日差しの中、東北自動車道を滝沢ICで 下り、盛岡市の渋民地区にある石川啄木記念館を訪ねる。
途中、右手にずっと気になる秀峰があった。長く伸びる北上山地の北の端、三角形の優美な山がある。記念館に近づくと、右手にあったと思ったこの山が、急に目の前に展開する。地図を見るとこれは姫神山といい、啄木はこの山の麓で生まれた。そして、姫神山を背にして正面には、標高2000mを超える名峰・岩手山が、どっしりと肩をいからせて聳えている。

啄木は歌集『一握の砂』で一躍有名となった歌壇のスーパースターであり、26歳で夭折した。ここ渋民からほど近い日戸村(当時)の常光寺に生まれる。
寺の入り口には、立派な樹木がそびえ立つ。
境内にあったとされる金田一京助書の碑か。
 
その後、父親の転任により、渋民村(当時)の宝徳寺に転居した。

博物館の所在地である渋民は、啄木の短い生涯の内、多くの年月を過ごした場所であり、彼が心から愛した故郷である。

啄木の生涯を肉筆原稿や写真で追っていくと、金田一京助や野村胡堂、宮崎郁雨、若山牧水ら友人たち、彼を評価し激励した与謝野鉄幹、上田敏ら文壇の先輩たちなど、周囲の多くの人たちに支えられていたことが分かる。彼の履歴を見ればすぐ分かるように、渋民高等小学校での代用教員、北海道各地での新聞記者や校正係など、それぞれで能力を高く評価されながら長続きしなかった。「文学の道を諦めきれなかった」ことは事実だろうが、頑固でプライドの高い青年だったのだろう。そして、そんな彼が多くの人たちに支えられていたということは、やはり啄木は純粋で人間的な魅力を兼ね備えた人だったに違いない。

記念館には代用教員時代に彼が弾いたというオルガンが展示されている。小振りな可愛らしいそのオルガンに、身長160cmに満たない小さな啄木が座っていたのだと思うと、なんだか微笑ましい。

同じ敷地には、啄木が教えた渋民高等小学校の建物が残されている。
啄木は母校でもあるこの小学校で、第2学年を担当した。盛岡中学校(現在の高校)を中退していたため、代用教員の身分ではあったが、彼は「日本一の代用教員」と自認しつつ熱心に生徒たちを教えたらしい。2階に上がると手前の教室が、啄木が教えたという第2学年の教室だ。
長椅子に腰掛けると、当たり前だが膝が机につっかえてしまう。教師は校長を入れて4人。生徒は200人を超えていたとのことだが、この大きくはない建物で、随分と賑やかだったことだろう。
また、学校の隣には、代用教員時代に間借りしていた家が移転されていた。
啄木になってみた。
記念館では企画展として、同じフロアで「石川啄木と若山牧水」と題した展示が行われていた。牧水は啄木より1年年長の歌人。啄木と牧水の交流を示す書簡や文書が展示されており、自らの短歌を日本各地で揮毫していた牧水の書も見ることができる。二人の交流は期間は短かったが、お互いの才能を高く評価しており、啄木の臨終に立ち会った唯一の友人が牧水であった(金田一京助も病床にいたが、大学の講義のために場を外していた時に亡くなった)。「旅の歌人」と呼ばれた牧水は、登山も好んでいたらしく親しみが湧く。彼の短歌にも親しんでみたいと思った。(Y)

啄木という人は、熱血漢だ。15歳の中学生ながら、学内の経営に抗議しストライキをしたり、近くの八甲田山で雪中行軍遭難事件があれば、仲間と「岩手日報」号外を発行し、その収益を足尾鉱毒の被災者に送る。大人顔負けの行動力。かつては渋民の神童と謳われた、その学力は振るわずとも、短歌の才能は開花。与謝野鉄幹、晶子夫妻に認められ、あっさりと盛岡中学を去り、上京してしまう。ともかく潔い。 

仕事も転々とし、一年と長続きせず。根気がない、と言われれば否定できないところもあるが、啄木の人生は他人の人生を数倍速で早送りしたようなもの。そう思えば腑に落ちる。

この記念館では、「林中の譚」という作品が上映されている。
「森林を倒し、山を削り、川を埋めて作る道は、自然を破壊して作る道であり、それは真美に通じる道とはならず、地獄の門に通じる滅亡の道となる。」
この作品の中で、啄木は主人公の猿に そう語らせ、利便性ばかりを追求してきた人類の進化とは、何事をも自らの手で行えなくなるという身体能力の退化であり、人間こそが霊長類の支配者であると考え、万物を支配しようとするのは、人類の奢り、地獄への道に通ずる行為であると揶揄している。

記念館唯一の展示上映で、わざわざこの作品をテーマとして選んだということは、この会館が啄木の意思をここに表したということ。彼の精神が宿る作品ということなのだろう。

A I、ロボットに業務を委ね、カードやマイクロチップに全てを記憶させ、人間は退化への道を邁進中。そんな現代社会を見透かしたような啄木に、先見の明あり。

華奢な身体に端正な面立ち。そんな外見とは裏腹に、正義感の強い、一本気な人であったのだろうと想像する。そんな男性ならモテて当然か。啄木というと、その女性遍歴が注目されがちであるが、彼の骨太の精神、その真髄を究明したくなった。(K)

キャンピングカーで日本一周

キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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