今日は「木曽路を歩くのには打ってつけ?」と言っていいのかどうかわからぬ程、天候に恵まれる。
道の駅「賤母」から20分ほど走り、予定通りに馬籠宿の無料駐車場に駐車。
朝 8時28分、馬籠宿をスタート。
ここから妻籠宿まで、約8kmほどを歩く。
お馴染みの馬籠宿の風景だが、朝食時のせいか道中はひっそりと静まり返っている。
石垣には多肉植物が。
こんな光景は伊万里の大川内山でも目にした。
多肉植物は挿しておけば自然と根付いてしまうくらい、生命力が旺盛だ。
さらに進むと、山口誓子「街道の坂に 熟れ柿 灯を点す」の句碑。
山頭火の歌碑ばかり目にしていると、マトモな歌だとつい思ってしまう。
(これは、「Yの個人的な感想」です。)
島崎藤村の童話『ふるさと』にある、「歌の好きな石臼」の一節を記した看板もある。
擬人化された石臼が、のんびりと時間を忘れて、いつまでも粉を挽いている様子が目に浮かぶ。
坂を登りきった辺りで、馬籠の宿場町の出入口に差し掛かる。
ここには、江戸時代の御触書を掲げた「高札場」が。
目の前のベストポジションには旅籠が。
この前の通りにはバス停があり、ここから坂を下りって馬籠宿を散策することもできる。
木曽路の馬籠宿と妻籠宿を結ぶ旧街道は、基本的には山道だが、アスファルトの県道と所どころで交差しており、そこを周遊バスが走っているので、木曽路の道中数ヶ所ある小さな宿場など、気に入った場所にピンポイントで訪れることも可能だ。
馬籠宿の崖側には展望所があり、恵那山(2192m)の台形のたくましい山容が望まれる。
藤村の小説『夜明け前』にも登場する、地元の人びとにとって馴染みの深い名山だ。
そして、また、ここにも藤村の筆蹟による石碑が。
「心を起こそうと思えば、先ず身を起こせ」(ニーチェの言葉)。
馬籠はどこまでも藤村なのだ。
ここから、妻籠宿まで7.7km。
ここからは、山道となる。
ここで「熊よけの鐘」が登場。
我々は鈴をぶら下げているので大丈夫だろうが、一応鳴らしておく。
しばらくの間、山道をひたすら歩く。
妻籠宿から1.2km。
県道7号と交差するところに、水車小屋がある。
近くの民家の庭には、花が綺麗に植えられていて、
旅人が清水で喉を潤せるよう、心配りがなされているのが嬉しい。
さらに進むと、木陰に休憩所があったので、椅子に座って小休止。
近くには、膝栗毛シリーズ・弥次喜多道中でお馴染み、江戸の人気作家 十返舎一九の狂歌、
「渋川の むけし女は見えねども 栗のこはめし ここの名物」、の歌碑がある。
おそらく、この辺りに有名なお休み処があったのだろう。
膝栗毛では、弥次さん喜多さんが、木曽街道、善光寺詣、中山道と、いく度かこの周辺を訪れているが、やはり作家自ら足を運んでいたわけである。
街道沿いには、所どころに民家が軒を連ねる集落がある。
現役の民家は思ったより多く、近くの畑で野良仕事に精を出すご老人の姿もちらほら。
空の青、森の緑、そして木造の家並みのコントラストが目に鮮やか。
晴天で良かった。
民家の先には、立派な石垣の上に聳え立つ、熊野神社の鳥居が。
明治天皇が小休止した場所を記念する石碑もある。
険しい登り坂が続いたところでが 、
「777m」の標高を示す、スリーセブンの看板が。
この数字の並びを見て、テンションが上がる人もいるはず。
そこから、ほどなくして長野県との県境の標識が。
この先、100mほどで、馬籠峠に到着。
ここで、バスを待つ人の姿も。
馬籠宿からは、ここから下り坂となる。
上の断面図を見てわかるとおり、妻籠宿からの坂道の方が急勾配。
おそらく妻籠宿からここに来るまでで、疲れ果ててしまったのだろう。
峠の茶屋で一服、といきたいところがだが、現在、閉店中。
馬籠宿から、ここまで2.2km。
妻籠宿までは、あと5.5km。
ほとんどが下りだから、それほど大変ではないはずである。
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