5月30日 中山道・木曽路(馬籠宿→妻籠宿)を歩いてみた‼︎ ①


今日は「木曽路を歩くのには打ってつけ?」と言っていいのかどうかわからぬ程、天候に恵まれる。

道の駅「賤母」から20分ほど走り、予定通りに馬籠宿の無料駐車場に駐車。


朝 8時28分、馬籠宿をスタート。

ここから妻籠宿まで、約8kmほどを歩く。



お馴染みの馬籠宿の風景だが、朝食時のせいか道中はひっそりと静まり返っている。


石垣には多肉植物が。

こんな光景は伊万里の大川内山でも目にした。 

多肉植物は挿しておけば自然と根付いてしまうくらい、生命力が旺盛だ。



さらに進むと、山口誓子「街道の坂に 熟れ柿 灯を点す」の句碑。

山頭火の歌碑ばかり目にしていると、マトモな歌だとつい思ってしまう。
(これは、「Yの個人的な感想」です。)



島崎藤村の童話『ふるさと』にある、「歌の好きな石臼」の一節を記した看板もある。 

擬人化された石臼が、のんびりと時間を忘れて、いつまでも粉を挽いている様子が目に浮かぶ。



坂を登りきった辺りで、馬籠の宿場町の出入口に差し掛かる。


ここには、江戸時代の御触書を掲げた「高札場」が。

目の前のベストポジションには旅籠が。

この前の通りにはバス停があり、ここから坂を下りって馬籠宿を散策することもできる。


木曽路の馬籠宿と妻籠宿を結ぶ旧街道は、基本的には山道だが、アスファルトの県道と所どころで交差しており、そこを周遊バスが走っているので、木曽路の道中数ヶ所ある小さな宿場など、気に入った場所にピンポイントで訪れることも可能だ。



馬籠宿の崖側には展望所があり、恵那山(2192m)の台形のたくましい山容が望まれる。


藤村の小説『夜明け前』にも登場する、地元の人びとにとって馴染みの深い名山だ。


そして、また、ここにも藤村の筆蹟による石碑が。

「心を起こそうと思えば、先ず身を起こせ」(ニーチェの言葉)。


馬籠はどこまでも藤村なのだ。


ここから、妻籠宿まで7.7km。

ここからは、山道となる。



ここで「熊よけの鐘」が登場。

我々は鈴をぶら下げているので大丈夫だろうが、一応鳴らしておく。


しばらくの間、山道をひたすら歩く。


妻籠宿から1.2km。



県道7号と交差するところに、水車小屋がある。



近くの民家の庭には、花が綺麗に植えられていて、

旅人が清水で喉を潤せるよう、心配りがなされているのが嬉しい。



さらに進むと、木陰に休憩所があったので、椅子に座って小休止。


近くには、膝栗毛シリーズ・弥次喜多道中でお馴染み、江戸の人気作家 十返舎一九の狂歌、

「渋川の むけし女は見えねども 栗のこはめし ここの名物」、の歌碑がある。


おそらく、この辺りに有名なお休み処があったのだろう。

膝栗毛では、弥次さん喜多さんが、木曽街道、善光寺詣、中山道と、いく度かこの周辺を訪れているが、やはり作家自ら足を運んでいたわけである。



街道沿いには、所どころに民家が軒を連ねる集落がある。

現役の民家は思ったより多く、近くの畑で野良仕事に精を出すご老人の姿もちらほら。


空の青、森の緑、そして木造の家並みのコントラストが目に鮮やか。

晴天で良かった。



民家の先には、立派な石垣の上に聳え立つ、熊野神社の鳥居が。


明治天皇が小休止した場所を記念する石碑もある。


険しい登り坂が続いたところでが 、

「777m」の標高を示す、スリーセブンの看板が。

この数字の並びを見て、テンションが上がる人もいるはず。


そこから、ほどなくして長野県との県境の標識が。



この先、100mほどで、馬籠峠に到着。


ここで、バスを待つ人の姿も。

馬籠宿からは、ここから下り坂となる。

上の断面図を見てわかるとおり、妻籠宿からの坂道の方が急勾配。

おそらく妻籠宿からここに来るまでで、疲れ果ててしまったのだろう。



峠の茶屋で一服、といきたいところがだが、現在、閉店中。


馬籠宿から、ここまで2.2km。

妻籠宿までは、あと5.5km。

ほとんどが下りだから、それほど大変ではないはずである。

キャンピングカーで日本一周

キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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