次に、「南のムラ」を見学。
このあたりは「南集落」で、当時200人ほどが生活していたらしい。
「北集落」が支配者層の居住エリアで、ここ「南集落」は、食料や衣服を生産し、支配者層を食わせていた階層の居住エリアだと考えられている。
当時から階層社会は出現していたようだ。
実際の遺跡(集落跡)は、我々の足の下に埋まっている。
発掘調査ののち、遺跡を保護するため、このように再度土で埋められ、そのあとに集落の竪穴式住居などを再現したわけだ。
ここは、庶民が暮らすムラで、農耕生活を送りながら、生活に必要な道具を作っていたという。
次に向かったのは、「倉と市」のエリア。
倉を守るための武具は、ヨーロッパ風?
次は、隣にある塀で囲まれた「南内郭」へ。
物見櫓から撮った写真は、まるでジオラマのよう。
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