JR線のガード下駐車場で迎えた朝。
車の窓から外を眺めると、どうやら晴天のようである。
今日は、一日、長崎市内の観光に出かけることに。
駐車場を出て、ガードをくぐり、市電の踏切を渡ると、目の前は平和公園の入り口である。
今日からGWに入ることもあり、公園内は観光客が多い。
どちらかといえば外国人の姿が多く目につく。
階段を上ると、噴水から風に巻かれた水の粒が飛んでくる。
(長崎県観光連盟ホームページより転載)
原爆の放射能を浴びた被災者たちの多くは、「水が飲みたい」と言い残しながら死んでいった。
ここに噴水が置かれるのには、そんないわれがあるという。
噴水の先には、「長崎刑務所浦上刑務支所跡」のパネルがある。
ここでは、原爆投下により、職員や収容者を合わせた134名の全員が即死。
爆心地から最短約100mと、最も近い建物であった。
世界各国から贈られた平和の像の間を歩いていくと、広場中央の正面には有名な「平和祈念像」が、右手で天を指差しながら鎮座している。
「右手は原爆を示し、左手は平和を/顔は戦争犠牲者の冥福を祈る/人種を超越した人間」
祈念像の裏側には、この像の作者・北村西望氏の言葉が刻まれている。
公園の裏手には、浦上天主堂が遠望できる場所があった。
この建物は、もちろん戦後に再建されたものだ。
平和公園の丘を下ると、「原爆投下中心地」を示す碑がある。
我々が泊まっていた駐車場は、爆心地の左隣、松山町交差点あたりということか。
爆心地の隣には、先ほど遠くの山裾に見えた浦上天主堂の、被爆遺壁の一部が移設されている。
頂上部分に立つフランシスコ・ザビエルと使徒の像が、我々に何かを語りかけているようだ。
近くには、原爆投下当時の地層を保存している場所がある。
ガラス越しに、瓦やレンガ、高熱で土に溶けたガラスなどが埋まっているのが見える。
我々も、あの時、あの場所にいたとしたら……。
二人、静かに「長崎原爆資料館」へと向かう。
長崎に原爆が投下されたのが、1945年8月9日。
その年の12月までで、原爆による死者が73,884人、負傷者が74,909人と推定されている。
当時の人口は約24万人。
23,000人ほどの外国人被爆者も存在している。
館内には、長崎型原爆(ファットマン)の実物大模型が展示も。
この殺人兵器は、長さ3.25m、直径1.52m、重さ4.5トン。
長崎市街を一瞬で灰と化してしまった破壊力を考えると、目にした印象はそれほど大きいとは思われない。
爆発により高性能爆薬の21キロトン分に相当するエネルギーを放出したが、その内訳は放射線が15%、熱線が35%、爆風が50%であり、それらが複雑に絡み合って大きな被害を引き起こした。
高熱のため、人間の手の骨とガラスが溶けてくっついた塊。
内部に被爆者の頭蓋骨の一部が付着した鉄かぶと。
こうした展示品を見ると、放出された莫大なエネルギーが、あらゆる生ける者を一瞬で物言わぬ物質と化してしまった惨状がよく分かる。
広島と長崎の原爆投下から四半世紀が経過した1970年、62ヶ国が批准して発効した核拡散防止条約(NPT)は、2015年時点で191ヶ国が参加するまでになっている。
しかし、無期限延長が決まっているこの条約の発効からすでに半世紀近くが経過しているにもかかわらず、軍縮の歩みは進まないばかりか、かえって悪化している。
NPTの第6条には、「核保有国は誠実に核軍縮交渉を行う義務を有する」旨が記載されている。
当初の核保有国(米露英仏中)は、NPTによりその時点での核保有は承認されたものの、その削減を義務付けることで、その他の国々が核保有を承認したはずである。
1990年代初頭に冷戦体制が終結し、本来ならば核兵器の重要性は低下するはずだった。
ところが、1996年に国連が採択した包括的核実験禁止条約は、日本を含む157ヶ国が批准したものの、発効要件国(核保有国を含む44ヶ国)の批准がされず、いまだ未発効のままである。
1998年には、インドとパキスタンが相次いで核実験を行った。
2000年代に入ると、アメリカのブッシュ政権はテロとの戦いを強調しはじめ、「見えない敵に対する核抑止力」という新たな方針を打ち出した。
さらに、北朝鮮のミサイル問題や核開発問題が加わってくると、日本でも与党を中心として、「日本の平和はアメリカの核兵器により守られている」という論調が主流になっていく。
2017年7月、国連において核兵器禁止条約が、122ヶ国という賛成多数で採択された。
だが、交渉が始まった当初から、全ての核保有国、NATOの核の傘にあるドイツやカナダ、それに日本や韓国、オーストラリアなどは不参加(中国は棄権)を表明している。
この条約に中心になって反対したアメリカは、「北朝鮮の核問題が存在するうちは、禁止条約は現実的ではない」としており、日本も同様の立場をとっている。
NPTの精神にたちかえれば、現時点で核兵器禁止条約に反対する国々も、軍縮への努力をしなければならないのは当然だ。
それは、核保有国も、それに守られていると考えている非保有国も同じことである。
そして、特に核保有国については、軍縮に非協力的ということは、すなわち「核を持てる者のエゴと自己保身」と非難されても仕方ないのではないか。
アメリカを中心に、もし「北朝鮮の脅威」などと言うのであれば、それ自体は認めるとしても、「そのために、これほどの核兵器を持っている必要があるのか」という疑問にどう説明するのか。
北朝鮮のような「個別の国家への対応」であるならば、それこそ国際協調と対話により、解決できるものではないのか。
永井隆というカトリック信徒の医師についての展示があった。
原爆投下後、彼は被爆者の救護に務め、原爆障害の研究に取り組んだ。
彼は、放射線治療の専門家として長崎医科大学附属病院に勤務中、被爆している。
彼の妻は自宅で骨となり、彼自身は原爆で被爆する前から既に白血病を患っていたという。
彼は病魔に侵されながらも精力的に活動し、終戦からわずか6年で天へと召されて行くが、彼の残した功績は大きい。
永井は、著書『いとし子よ』の中で日本国憲法について触れ、自分の子供に「戦争放棄の条項を守ってほしい」とメッセージを記している。
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