先日、映画『米軍が最も恐れた男〜その名はカメジロー』で、その生涯について学んだ、戦後沖縄の政治家・ジャーナリスト、瀬長亀次郎。
彼の記念館である「不屈館」が那覇市内にあることを知り、見学することに。
灯台下暗しー。
地図で確認すると、これまた、以前から何度か利用していた那覇港の若狭公園駐車場の眼と鼻の先にあるということがわかる。
公園と道を隔てた住宅街に、その記念館はあった。
中に入ると、ちょうど記録映像が始まったばかり。
すぐに椅子に腰掛け、鑑賞する。
今回の映像も、佐古監督によるTBS制作もの。
映画ではあまり触れられていなかった亀次郎の妻・フミについて特にフォーカスしていた。
フミは、亀次郎が公職追放されていた一時期、彼に代わって民衆の声を代弁すべく那覇市議会議員となり、政治活動を行なっていた。
彼女にとって亀次郎は、同志であると共に、政治の師でもあったという。
米軍の圧力をモノともしない亀次郎は、その外見もコワモテの男だったが、普段は常に大らかで、笑顔を浮かべた親しみやすい男だった。
議会で男女平等を主張するだけでなく、実際に体現する人間であった。
「カメジローは、家に帰ると家族中の洗濯を一手に引き受け、暇さえあればタライでゴシゴシ手洗いをしていた」と娘さんがインタビューで答えている。
自身の投獄や政治活動で、家族に迷惑をかけているという自責の念が、なおさら彼を家庭人にしたのだろう。
妻のフミは雑貨屋を営み家計を支えていたが、カメジローに代わってフミが政治活動を始めると、今度はカメジローがフミの代わりに店番を引き受けていたという。
フミとカメジローの雑貨屋は、いつの間にか民衆の集う場となっていった。
カメジローは、
「会いに行けるアイドル」ならぬ、「会いに行ける政治家」であったのだ。
不屈館は、瀬長亀次郎の記念館であると同時に、沖縄の民衆運動の資料室でもある。
ここでいう民衆運動とは、主に亀次郎が生前関わってきた、米軍占領下の労働問題や祖国復帰問題などに関わる運動を指す。
そして、最もスペースを割いているのが、米軍基地の辺野古移設反対運動に関する資料だ。
記録映像を見ていたときも、広くはないスペースに10人ほどが座っていて、その中には「明日、辺野古に行きます」という男性もいた。
「良かったら見てください」と、沖縄の基地問題に関するウェブサイトのリンクをまとめた一枚のチラシをくれた。
不屈館の館長は亀次郎の次女、内村千尋さん。
彼女の話では、「現在、佐古監督が『米軍が最も恐れた男』の続編を製作中で、今年8月に公開される予定」とのことだった。
記念に、亀次郎の回想録『沖縄の心』と、
カメジロー語録が付いたクリアーファイルを購入し、不屈館をあとにする。
建物の壁には、「不屈」の二文字。
オール沖縄の闘いの聖地のような場所であった。
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