11月18日 富士川町→身延町[木喰の里・微笑館]→鳴沢村(54km)


今朝も昨日に続き、ロードサイクルのイベントの開会式で駐車場は賑やかである。
朝7時半から女性アナウンサーの声が響き渡り、8時過ぎからはそれに負けじと、道の駅朝市ひろばのアナウンスも加わり、協奏曲のような賑わいとなる。


今日も、続々とスタートを切る参加者の方々の後方から伴走するかのように、身延町にある「木喰の里・微笑館」へと向かう。



「木喰(もくじき)」とは仏教の修行の一つで、「五穀(米・麦・アワ・ヒエ・キビ)を断ち、木の実などを食べて生活すること」を指し、食事に火を使ってはならないなど、厳しい戒律がある。

この「木喰戒」で修行する僧侶を「木喰上人」という。

「木喰」を名乗る遊行者には、同時代の木喰観正や、弟子の木喰白道もいるが、最も有名なのは、やはりこのお方(以下、「木喰」と記す)。


ここ身延町出身で、江戸時代後期の著名な木喰上人(1718-1810)であり、日本全国を行脚する廻国修行を行った遊行者であり、仏教彫刻家であり、歌人でもあった。

彼の木彫作品は1000体(現存は700体あまり)に及ぶとされ、「微笑仏」と呼ばれる独特の愛らしい笑顔で知られている。


これから我々が目指すのは、「木喰」の出生地にある木喰の記念館なのである。
 

車は、走り慣れた国道52号ではなく、富士川左岸の県道8号を南下し、山の中へと入っていく。
下部温泉郷から延びる国道300号に合流し、その先の木喰トンネルをくぐると、カーナビが左折を指示している。

その先は、「道路工事中のため一部通行止めとなる場合があります」と書かれた、なんとも細い坂道だ。本当に、こんな山道に入って大丈夫なのか?

Kの「すぐ先に道の駅があるから、そこで聞いから行ったら?」というアドバイスにも耳を貸さず、ひたすらカーナビの甘い囁き声を信じ、進んで行くY。

まるで性悪女に騙される素人さんのようだ。

普通ならこんな道には入っていかないのだが、来訪者のブログにも「大型バスは通行できず、とにかく道が細い、と書いてあったから、大丈夫」とY。

躊躇しながらも、半信半疑のままナビの女性の「左です」の声に身を任せ、ひたすら登っていく。 

ボッタクリバーに連れて行かれる集団の中に、一人だけシラフの人が混ざっていた時の心境は、こんなものかと、Kは思う。

細く急な崖っぷちの坂道を、ガタガタ、くねくねと上って行く。
対向車が来たら最悪バックで戻ろうと覚悟したが、すでに戻れるような距離ではなくなったところで、我々のキャンピングカーでは先に進めなくなった。

ちょうど広いスペースがあったので、農作業中の男性の許可を得て車を停めさせてもらい、徒歩で記念館まで向かうことにする。


男性に記念館の所在を確認すると、「ここから歩くと15分くらいだよ」とのこと。

それくらいならなんとかなるか、と Kも観念して坂道を登り始める。
坂の上にはポツポツと人家があり、軽自動車なら何とか通れそうなデコボコな山道が、上へ上へと延びている。


次第に傾斜がきつくなりはじめ、30度ほどの急勾配となる。


多分ほかに道があるのだろうと思いつつ、蛇行しながら登っていくと、道端で小屋の屋根に登って作業している男性がいた。


そこて再度道筋を確認すると、
「あんなひどい道登ってきたんだ〜。いい道は沢山あるよ〜♪」と唄うように、半ば笑いをこらえながら、おじさんが応える。

大型バスは難しいが、我々クラスのトラックなどが工事で毎日行き来しているという舗装道が、確かに数本あったのだ。

Kの言うとおり、曲がった場所のすぐ先にあった道の駅「しもべ」で聞いておくべきだった。

平家の落人の里を思わせる集落を横目で眺めながら、ゆるゆると山道を登り続けること30分、ようやく「木喰の里・微笑館」に到着する。



例によって、初めに木喰の生涯を紹介する15分ほどのビデオを鑑賞する。

職員の男性が、暖かいお茶を勧めながら、
「こんな寒いところなのに、奥さんが半袖Tシャツで汗を拭き拭き入って来られたんで、よっぽどの汗っかきなんだなぁ〜って思ってたら、あんな急坂を登って来られたんだぁ。そりゃ大変でしたね〜」とねぎらいのお言葉をかけてくださる。

そう、Kは、いつの間にかジャンバーをカバンに納め、最後の坂ではパーカーを脱ぎ捨ててしまって、すっかり夏モードになっていたのだった。

ストーブを焚いて出迎えた職員の方も驚くわけだ。


さて、そんな小高い山頂の村・甲斐国古関村丸畑で、木喰は1718年に名主の次男として生まれた。


14歳の時、「畑仕事に行く」と言い残して家出をし、江戸に向かい、

22歳の時、相模国(伊勢原市)の真言宗・大山不動にて出家。僧侶として長い修行の日々を送る。

45歳の時、常陸国(水戸市)の真言宗・羅漢寺の木喰観海上人より「木喰戒」の教えを受け、以後「木喰」を名乗ることとなる。

56歳の時、念願だった廻国(日本一周)の旅に出発し、以降、特定の宗派に属さない遊行僧としての日々が始まる。

当初は「木喰行道」と称し、76歳で「木喰五行菩薩」、89歳で「木喰明満仙人」と名を改めている。


木喰は、旅の先々で仏像を制作しては奉納しているが、最初期の仏像は61歳の時、蝦夷地(北海道南部)で制作したもの。

どことなく荒削りで、アイヌコタンで見た木彫りの像と似ているように感じたが、ひょっとしたら、そこで彫刻を学んだのではなかろうか。

アイヌコタンで酒盛りをしているニコニコ笑顔の木喰さん。なかなか絵になる光景だ。


83歳(1800年)の時に日本全国の藩を走破する廻国を果たし、その道のりは、北は北海道から南は鹿児島まで、総行程2万キロに及ぶものだった。



木喰は廻国を達成後、故郷である丸畑に戻ると、地元の人たちの願いを受け、翌1801年に、「四国八十八ケ所霊場」にちなんだ「八十八体仏」をわずか9ヶ月で制作する。


木喰の最後の日々は、遊行者の彼らしく明らかになっていない。ただ、遺族に残された遺品にある「紙位牌」によると、93歳で亡くなったとされている。


木喰については、今年が生誕300年のこともあり、テレビ番組で取り上げられたり、展覧会が開かれたりと、最近になって知名度も上がってきている。


しかし、木喰が世間一般に知られるようになったきっかけは、美術史家で民藝運動の推進者であった柳宗悦の発見によるものであった。



1924年、李朝陶磁器の調査で山梨を訪れた柳は、訪問先で偶然目にした木喰仏を見て深い感動を覚える。彼はその後3年もの期間を木喰研究に費やし、木喰の残した宿帳や記録を元に、その足跡を訪ね歩き、日本全国に散らばる木喰仏の多くを見出すことになる。


彼は独特の笑みを浮かべる木喰仏を、「微笑仏(みしょうぶつ)」と名付けた。


日本各地に散らばる木喰仏は、その笑顔が象徴するように、庶民との関わりも一風変わっている。

長岡市にある金比羅堂に安置された木喰仏は、その顔や腹がツルツルに磨耗してしまっている。この仏様は背部が丸くくり抜かれているのだが、地元の子供達がソリの代わりにして遊んでいるうち、このようになってしまったという。

大人たちは、仏様が子供の遊び道具になることを止めることはなく、「木喰様のお陰で皆が毎日幸せに暮らせるのだ」という感謝の気持ちを持ち続けている。

ビデオを見終わり、こちらの気持ちもまるくなったところで、展示室を見学。


ここでは、流石に本物の木喰仏はほとんど見受けられないが、レプリカや写真を含む数々の木喰仏や、彼の書いた曼荼羅画、直筆の文書などを展示している。また、現代の彫刻家の手による「木喰仏」もあった。


「木喰さん生誕300年記念スポーツタオル」と、



ポストカードを購入し、展示館を後にする。


小さな展示館ではあるが、静かな山村の山々に囲まれた、心温まる場所である。


行きに道を教えてくれたおじさんが同じ屋根の上で仕事をしていたのでご挨拶。


「帰りは転がって帰った方が早いんでねぇか〜」と相変わらず楽しげに笑いながら、からかい口調で見送ってくれる。

ここにも木喰さんが生きている。


みな人の 心をまるく まん丸に どこもかしこも まるくまん丸  (木喰)


ニコニコ笑顔のおじさんに手を振りながら、もと来た山道をてくてくと下る。
確かに真っ直ぐに転がって行けそうな急勾配であった。


お昼時となったので、行きに見かけた国道沿いの道の駅「しもべ」に立ち寄る。



すると、ここにも木喰さんが。


道の駅の敷地内には、名物の「ほうとう」やおでんの屋台が出ており、観光客で賑わっていた。


腹ペコ夫婦は、ほうとう(300円)と、野菜の天ぷら(300円)をそれぞれセットでいただく。


地元のおかみさん達が作るホンモノの味は、まさに絶品。
柿の天ぷらは初めて食べたが、ほんのり甘くて美味しかった。

休憩を終えた一行は、さらに急カーブが連続する国道を富士山方向へと進む。
途中、本栖湖に立ち寄る。「お札の富士」はさすがに見事だ。

一番のビュースポイントでは車を停めることができず、結局写真は撮らずに車を走らせる。まだしばらくは富士山周辺をうろつく予定なので、まだチャンスがあるはず。


しばらく行くと、有名な「青木ヶ原の樹海」の表示が出て来た。
このまま樹海に分入れば、そのまま吸い込まれるように消え入ることが出来るのか、などと考えながら、林の中を走り抜ける。

富岳風穴などの観光スポットもこのあたりだが、疲れたので見学は明日に持ち越し。
今日はその先にある道の駅「なるさわ」まで行き、宿泊する。

キャンピングカーで日本一周

キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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