コラム <盲目の女性旅芸人「高田瞽女」について>


妻折笠に風呂敷包み、片手で杖をつき、もう一方の手で前の荷物を掴み、並んで歩く女性達の写真がある。


彼女たちは「瞽女(ごぜ)」と呼ばれる、盲目の女性旅芸人である。三味線を弾き唄をうたい、村々をまわって暮らしていた。

瞽女は近世まで全国に見られたが、20世紀に入ると、その多くは新潟を中心に北陸全域を活動の場としていた。新潟では高田と長岡が有名で、それぞれ高田瞽女、長岡瞽女と呼ばれた。

第二次大戦後までは、麻疹や天然痘から失明する子供が少なくなかった。そうした女の子の中には、三味線や唄を身につけ、生業として旅芸人としての生活を送った人たちがいたのである。

彼女たちは毎日、三味線や唄の厳しい訓練を積んだ。瞽女の全てが全盲というわけではなかったが、盲人が盲人に楽器や唄を教えるのだから、並々ならない苦労があったという。

譜面を見ることはできず、昔は音響機器などなかったから、生活の全ての時間を使って、口移しで唄を記憶した。

彼女たちが唄う「瞽女唄」は、長い物語唄を何段にも分けて唄う「段物」が多く、延々と続く七五調の文句を一説ずつ区切って覚えていった。

このほか、地方の民謡や物語が、彼女たちの唄によって各地に伝播することも少なくなかった。

今のような娯楽に乏しかった時代、三味線や唄を身につけた瞽女は、農村に娯楽をもたらす芸人として歓迎された。一年のうち、300日を旅暮らしで送ったという話もある。

瞽女の研究で知られる画家・斎藤真一氏が制作した「瞽女宿の図」には、高田を中心に東は出雲崎や十日町、西は糸魚川、南は飯山までの瞽女宿の所在地が描かれている。

そして、高田瞽女の行動範囲はそこにとどまらず、高崎や前橋、長野から佐久あたりまで広がっていた。

「瞽女宿」では、各地の地主などの名士が、自宅に瞽女を無償で受け入れた。瞽女は数人で巡業したが、まず門付けといって、たどり着いた村の家々で唄を披露し、報酬として米や大豆などをもらう。夜は瞽女宿に人が集まり、興行をしてご祝儀をもらった。

米や大豆などは重くなるので、馴染みの店でその都度換金した。なんでも、彼女たちの背負う荷物は15kgほどにもなったという。あまりの重さに、歩く姿もつい前屈みになってしまうのだ。

戦後、農村に新たな娯楽が生まれるなかで、瞽女は減少の一途を辿る。各地で彼女たちを受け入れていた地主たちも、戦後の農地改革で没落していった。残された記録によると、高田瞽女の人数は1681年は26人、1901年に86人まで増加したが、昭和に入ると1932年に23人にまで減少し、戦後はたった3人となる。

その3人とは、高田瞽女の「最後の親方」杉本キクイと、その弟子2人である。

 高田瞽女には決まった組織形態があった。一定の修行年限を終えた親方が、弟子とともに暮らしながら芸を教えていき、弟子の中から家督を相続する者を選んで養女とした。この親方がいくつか集まって「組」をつくる。

そして、高田にある全ての組が集まって高田瞽女仲間を組織し、最年長者が「座元」となって瞽女たちを統括した。

杉本キクイは、1898年に中頸城郡諏訪村(現上越市)に生まれ、6歳の秋に麻疹を患い、医師の誤診で両眼を失明してしまう。7歳で高田瞽女の杉本マセに弟子入りし、その年には初旅に出ている。

22歳で事実上の親方となる。若い娘たちの監督を一人でしなければならず苦労したという。25歳になると、7歳の五十嵐シズが杉本家に弟子入りする。

32歳の時に、15歳の難波コトミが杉本家の「手引き」になりたいと願い出る。手引きとは、全盲でない者が旅の先頭に立つことで、杉本家の弟子の一人でもある。

キクイが最後の旅に出たのは1964年。東京オリンピック開催の年であり、彼女は67歳になっていた。

1965年、文部省主催の全国民族芸能大会で公演する。文学作品や映画の題材として瞽女が取り上げられるようになり、「瞽女ブーム」が起こった。1970年には「瞽女唄」が無形文化財に選択され、1973年にキクイは黄綬褒章を受章する。

こうした背景には、10年にわたり瞽女を取材し、「越後瞽女日記」で多くの人々に深い感銘を与えた画家・斎藤真一や、柳田國男に師事しつつ瞽女研究をライフワークとし、瞽女を口承文芸保持者として指定させる運動を起こした民俗学者・市川信次の存在があった。

1983年、杉本キクイは86歳で死去する。その翌年、キクイの2人の弟子、杉本シズと難波コトミは高田を離れ、北蒲原郡黒川村(現胎内市)の老人ホームに入所した。

現在、かつてのように生業として旅を続ける瞽女の姿は日本から消えた。そして、小竹勇生山、小竹栄子、月岡祐紀子、竹下玲子、萱森直子らが、瞽女の芸を継承し後世に伝えるべく、地道な活動を続けている。(Y)

キャンピングカーで日本一周

キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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