体感は昨日に増して暑い。隣の平泉町にある、日本有数の観光名所 中尊寺に行く。時間はすでに昼時。駐車場は近くに空きがなく、お盆休みということもあってか、観光客も多い。金色堂をゆっくりと味わうには慌ただしく、しかも酷く暑い。
ということで、今日の観光は取りやめ、明日の朝一で来ることにする。
気分を切り替えて、20kmほど山奥に入った黒滝温泉(500円)に行く。
ここはコミュニティセンターでもあり、施設はやや古いが、清潔で、先日の金田一温泉同様、とてもツルツルするお湯である。
ここに至るまでの田園風景もいい。
作付けは ほとんどが稲。一部の畑で、紫色のリンドウが支柱を使って栽培されている。
川のせせらぎの音、蝉の鳴き声。程よい静寂さに包まれ、先程の喧騒も嘘のよう。
時折現れる小川に架かる橋の欄干が、弁慶と義経が似合いそうな朱塗りとなっていて、田舎道といえども手を抜かない誇り高き文化の香りがする。
この辺りの家屋は、どこも大きくて立派。個々の敷地も広く、蔵持ちのお宅も多く見られる。新しそうな家でも、皆一様に大きな屋根が特徴的な平家建築であり、今時流行りのキューブ型の住宅や住宅展示場に並んでいるような家屋は見当たらず。
歴史に名を刻んだ土地柄だけに、文化や伝統を重んじる保守的傾向の強いエリアなのだろう。
歴史といえば、この辺りは奥州平泉。藤原三代が栄華を極めた土地であるが、その後は伊達政宗の領地であったりもする。それ以前は、アイヌの祖という説が有力な蝦夷の生活の場であった。
大和朝廷への帰属を嫌い、坂上田村麻呂を迎え撃ち、数度にわたり勝利したという蝦夷軍団。指揮していたのが
阿弖流為(アルティ)。一時期朝廷側から謀叛の汚名を着せられ、罪人扱いされていたが、近年、東北の英雄と称えられるようになり、青森のねぶたにもなっているのだとか。
そして、本日の Yがネットで探し出した黒滝温泉♨️。偶然にも、そのアルテイとゆかりのある温泉であった。
その名も、「アルテイの里 温泉郷 黒滝温泉」。ネットには、細かな記載がなかったので、全く気付かず。来て見たら建物の隣に碑文があって驚いた。
この温泉の特異性は、それだけではない。国産の木のチップをガス化し、環境にやさしいバイオマスエネルギーの電気を使用しているというエコな温泉なのだ。
ふらりと訪れた場所であっても、これだけの出会いと発見がある。奥州は奥が深い。
今晩は、中尊寺近くの道の駅「平泉」に泊まって明日に備えようと、早めに移動。しかし、この道の駅は夜間使用できるトイレが駐車場と真逆の位置にあったり、やたらと混んでいて居心地が悪い。人気のエリアだけに、車中泊お断りなのだろう。
昨晩の道の駅の方が居心地がいいので戻ることに決め、昨日は休館していた隣接の一関市博物館を見学。
常設展と企画展で、それぞれ数多くの日本刀が展示されている。これは一関市一帯が刀鍛冶で有名だったからで、かつて「舞草鍛冶」と呼ばれた、奥州東磐井郡舞草に住む刀工の集団がいたが、舞草とは現在の一関市のあたりを指す。
これだけの数の日本刀を近くで見たのは初めてだ。平安時代頃までは刀は直刀で、突き刺すためのものだった。その後、騎馬戦などで「引いて斬る」ことができるよう、「反り」がつけられ、我々の見慣れた「日本刀」になった。同じ日本刀でも、反りの大きさの違いや、切先の長さの違いなど、よく見るとそれぞれ個性がある。
そのほか、江戸時代に日本で独自に発達した数学「和算」の伝統がここ一関にもあり、有名な関孝和の弟子にあたる研究者の系譜が紹介され、円や球体を使って、和算による幾何学計算を体験できるような展示がされている。
加えて、一関藩の藩士で江戸期の蘭学者だった大槻玄沢、その息子の儒学者・大槻磐渓、孫にあたる国語学者・大槻文彦(『言海』を編纂)という、一関市にゆかりのある学者一族に関する展示もある。
一言でいうと、ここ一関市は歴史上、かなり文化の厚みをもった街だったのである。もちろん日本各地には、このような街が他にも少なからずあるのだろう。(K Y)
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