8月7日 鶴田町→五所川原市金木(23km)


今日は太宰の日である。

今は五所川原市の一部になっている金木地区に行く。

終始東からの風が強い。

10時に太宰治記念館である「斜陽館」に集合し、3時間の文学散歩となる。

ガイドは北川さんという、ここ金木で育った女性。


最初に斜陽館を見学。 

これは貴族院議員であった太宰の父・源右衛門が、太宰が生まれる2年前の明治40年に建てた、2階建、延床面積1,300平米の文字通り大豪邸である。

太宰はここで生まれ、中学で青森市に進学するまでの少年時代をここで過ごした。

そして、長く故郷を離れたあと、戦時中に地元に疎開した1年半を、この邸宅の離れで過ごしている。

父の死後、長男・文治が家業を継いだというが、戦後に大地主だった広大な土地は没収され、豪邸を維持することができなくなり人手に渡った。
 
長い間「斜陽館」という名の旅館となっていたが、55年を経て当時の金木町がこの建物を購入し、大規模改修により太宰治記念館としてオープンさせた。

現在では年間10万人の訪問者がいるという。


ここの土間まで馬車が入り、米俵を下ろしていたという。

青森の地方財閥として名を馳せた津島財閥の栄華が偲ばれる洋間。

太宰の母たねの部屋の襖には、漢詩の書が。

右下には「斜陽」二文字が見てとれる。



次に、隣接する「津軽三味線会館」を見学。

ここ金木地区は「津軽三味線発祥の地」とされており、元祖とされる仁太坊は江戸末期の人。

あのミッチー(三橋美智也)も北海道出身だが、津軽三味線の主な流派の一つの継承者であり、当時の民謡ブームの立役者となった。

三味線に関する展示を見たほかに、津軽三味線の演奏も聴くことができた。

福士流家元とそのお弟子さんによる演奏で、「叩き」を前面に出す激しい演奏である。

なんでも、当初ストリート芸術だった三味線は、大きな音を出して注意を引く必要があり、バチで叩きつける、大音量で激しく演奏するテクニックが発達してきた、とのこと。


迫力ある演奏を楽しんだあと雲祥寺に行くが、ここには大宰の『思ひ出』に描かれた、大宰少年の子供心に大きな影響を与えたといわれる「地獄絵」が展示されている。

境内には地面を這うように延びる老齢の松がある。

侍女のタケに連れられた太宰少年も、きっとこの松に親しんだことだろう。

雲祥寺には、本堂の隣に檀家の位牌を安置する部屋が設けられているが、このような寺院は他の地区ではあまりないのでは、とのガイドの話。

太宰の生家・津島家の菩提寺である南台寺には、太宰の父・源右衛門と兄・文治の墓石があった。


最後に、「旧津島家新座敷」を見学。

これは当初は、現在の斜陽館である母屋に隣接して建てられた「離れ」であり、大宰が疎開時に家族で住んだ建物である。

母屋が人手に渡ったとき、太宰の兄・文治が丸太で建物を曳き移転したもの。

大宰が疎開時の短期間で、23編という充実した執筆活動を行った書斎が残されているが、芥川賞作家で大宰ファンを公言する又吉直樹は、ここを3度も訪れ、ある時は文机の前に30分も座っていたと、解説する男性が話してくれた。


昼食は「新座敷」の別室でお弁当となる。

焼魚や煮物の津軽弁当は優しい味で、どれも美味しくいただいた。

食後に雑談をして、津軽鉄道の金木駅を案内してもらい、斜陽館に戻って3時間の文学散歩コースは終了となる。


キャンピングカーに戻って休息をとり、もう一度斜陽館に入って写真を撮ったりビデオを観たりした。  

そんなこんなで夕方4時を過ぎ、太宰の雰囲気に浸った一日となった。


近くにある芦野湖オートキャンプ場に宿泊。

ここは太宰の散歩コースであった公園と隣接しており、近くには温泉もある。

オートキャンプ場は初めてだが、木陰から湖が見下ろせる静かなロケーション。

トイレと水道が完備して、しかも無料というのは全く有難い。(Y)

キャンピングカーで日本一周

キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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