今日は、再び曇り空を見上げてのスタートです。
人口約800人、内2割ほどが寄宿生活を送る高校生という〝北海道で一番小さな村”音威子府村へ。
o-toyne-pとは、アイヌ語で〝濁りたる泥の川”〝漂木の堆積する河口”〝キレ曲がる川尻”の意味だとか。
この村に横たわる天塩川が、この村の歴史を物語っているようです。
この川沿いには、かつて、アイヌの集落コタンがあり、幕府の探検家であった松浦武四郎(後に開拓判官となった)が立ち寄ったとされ、そこでの交流によって〝北海道(北加伊道)”という地名や、アイヌ語を生かした地名の数々を誕生させたといいます。
彼は、その後、政府側と北海道開発の方針を巡って対立し、上り詰めた高官職も あっさり退き、天皇陛下から賜った従五位の官位も返上。再び自由な旅人となったそう。
この村を流れる天塩川のほとりには、北海道命名之地碑があり、松浦武四郎の精神を今に伝えようとしています。
そんな川のほとり、村の中心部から8kmほど離れたところに、「砂澤ビッキ記念館」があります。
ここは、筬島という集落。現代アート作家であった砂澤ビッキが、廃校となってしまった小学校の校舎を自宅、兼アトリエとしていた場所。
外観をそのままに、室内を新たにリノベーションしてるしてエコミュージアムおさしまセンターとして生まれ変わりました。
アイヌ民族の家庭に育ったビッキは、幼い頃からアイヌの伝統 木彫りや彫刻、女性の手習い事とされていた刺繍までを身に付けていったそうです。
そして更に絵画を学んで、自らの芸術性を高めていったようです。
店で販売する商品としての作品のひとつにも、きちんとデッサン画が残されています。
生活の糧を得るために、阿寒コタンで店を構え、木彫りの熊やアイヌ民族などの彫刻作品を売っていたそうですが、こんな精巧な、というより、清高なものを目指していたんですね。
アイヌコタンには、今でも、何人かの芸術家がいて、同じように店を構えているというから、ただの民芸品店だと思って素通りしてしまったことに後悔の念が湧いてきました。残念無念。
これからは、もっとしっかりリサーチして行かないと、大切な宝物を探せずに、旅が終わってしまいますよね。
さて、前置きはこのくらいにして、展示作品をご紹介。
そもそも、この建物はエコミュージアムというだけに、リサイクルされた木材や加工品が使用されて、もう一つ別な室内装飾アートが楽しめます。
ここは、風の回路。
床はコルク、壁は樹の断面が組み合わされ、複雑な模様を描いています。
そして、壁には、ビッキの作品が。
ただの魚やエビの木彫作品ではありません。
どれも細かな彫刻が ほどこされ、しかも関節が動きます。
次の間は、トーテムポールの木霊。
これは、村のシンボルとなっていたトーテムポールの一部分。
さらに奥へと進むと、アトリエ:午後3時の部屋へ。
他にも、ビッキの魂に息遣いを感じさせる、静寂さを楽しむ空間も。
映像ではお見せ出来ないのが残念ですが。
最後に、ビッキがデザインしたという行き着けのバー 「いないないばぁー」を再現した喫茶スペースで、ゆっくりとお茶のひと時を。
いや〜、何もかも完璧ですよ、ビッキさん。
こんな素敵な美術館は初めてです。
センターの皆さん、それを大切に守りながら維持されている皆さん、本当に素晴らしいです。
こういった取り組み、きっと日本国内各地に感銘を受ける方がいらっしゃるに違いありません。
この村は、気候が厳しく、積雪量は多い時で170cmを超えるという豪雪地帯。
インフラ整備もままならず、人口減少、過疎化はやむを得ないことかもしれない。
歴史の中に埋もれ、ひっそりと姿を消そうとしている人の気配。
だが、その流れの中に身を投じ、自然と共存しながら生きる術を模索してゆく人たちも現れ……。
そういった場所は、恐らく日本各地に存在していることでしょう。
私は、もっともっと、そんな祖先の魂や自然の中から、これからの時代を生きる叡智を学びたい。
そして、さらに新たな道を切り開こうとする先人たちの姿から学びたい。
静かな風に吹かれながら、車は天塩川を渡り、筬島集落を後にしたのでした。⑴
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