街道筋は、時に崖っぷちの、うっかり足を滑らせると谷底まで転げ落ちてしまいそうな危険な場所も数箇所ある。
山中で待ち構えていたのは、長野側のラッキーポイント。
隣には、熊除けの鐘が。
確かに、熊が出てもおかしくない雰囲気。
南無阿弥陀仏の石碑も、リアルなの感じ。
何かあった場所なのだろう。
足早に、脇を通り過ぎる。
ネット上で木曽路について調べてみると、「昔は山姥に遭遇するなど通行困難な道であり、善光寺を詣でるにも、木曾街道を行けば百里で済むところ、命の方が大事と二百里もある北陸道を経る場合も多かった」とか、「平家でさえ、京より関東に出るのに北陸道を用いた」と書かれている。
熊じゃなくて、山姥⁉︎
一気に足を進め、久々に標識とご対面。
妻籠宿まで、あと4.7km。
歩いた距離は、まだ半分にも満たない。
やれやれ、思っていると、目の前に一軒家が顔を覗かせている。
どうやら、ここにはかつて、茶屋が並んでいたらしい。
「いちこく御休み処」と書かれた建物の中から、
「無料なんで、お茶でも飲んで休んでいってください。」と声を掛けられる。
物腰の柔らかな男性が、お茶を振舞ってくれる。
岐阜の馬籠側からボランティアとして、ここにやって来ているという。
我々が到着したあと、スイスから来たカップルがやって来たが、彼は流暢な英語で会話を始めた。
おそらく以前は海外駐在などの経験が有るのでは、と勝手に想像。
冬の寒い時期には、餅など焼いて振る舞うと、外国人の方から大そう喜ばれるいう。
そんな触れ合いが楽しくて、ここに通われているのだろう。
ここにもまた、活動支援の募金箱があったので、ささやかながらお礼の気持ちを添え、休憩所をあとにする。
澄んだ川の流れに沿って、木曽路はゆっくりと標高を下げていく。
元気よく葉を広げるシダ植物。
途中、男滝・女滝があるようだが、途中の分岐が分かりづらく、車道でなく山道の方を選ぶ。
妻籠宿まで、あと3.1km。
ようやく半分を過ぎた辺りか。
しばらく行くと、下の方から学生たちの賑やかな声が響いて来る。
と思っていたら、いつのまにか滝の上を通り過ぎてしまったようだ。
街道筋の県道沿いには、立派な邸宅も多い。
山奥といえども、これだけ立派な道路があれば、昔とは違って不便な事はないだろう。
この先、妻籠宿まで2.7km。
こんなところに???
と思わせる場所に、綺麗に植えられた谷津田。
そろそろ人里も近い。
このあたりから、後から来た学生たちに、どんどん追い抜かれていく。
時折、すれ違い際に、「こんにちは‼︎」と挨拶をしてくれる学生さんもいて、
なんとなく清々しい気分になる。
この先の崖下に、立派な集落が見え始める。
ここからはもう舗装路なのか?
と思ったら、この先には、まだまだ山道が続く。
山道の勾配は、いよいよ厳しくなり始め、傍を行く高校生たちも下り坂の勢いが止まらず、ワーワー、キャーキャー言いながら、坂道を駆け下りて行く。
さすがに、石畳の坂道に足を取られぬよう進んで行くのは至難の技。
足首の筋肉が悲鳴を上げているのがわかる、とK。
ワンゲル出身だけに、Yは当然、涼しい顔をしてスタスタと下って行く。
ここで、物資の運搬に使役された黒牛を供養する牛頭観音が目に入る。
それはそうだろう。
こんな石コロがゴロゴコロと敷き詰められた坂道で、重い荷物を背負われられたら、牛も大変だったに違いない。
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