4月6日 水俣市→宇城市[道の駅「不知火」]→熊本市[熊本城周辺散策]


今日は水俣市を出て不知火海を北上。

八代市を通り、隣の宇城市へと向かう。

途中の道の駅「不知火」で車を停めて温泉♨️&ランチで一休み。



温泉の前では、和太鼓の演奏が。

舞台の奥が玄関なので、温泉に入るには舞台に上がることになる。

演奏を見ている大勢の観客の前で温泉へと向かうのは、なんだか照れ臭い。


風呂上がりに、隣のレストランで、名物「だご汁」をいただく。

「だご」とは団子のことらしい。

中には「すいとん」のようなお団子がいくつか入っていて、根菜類、イカ、貝、アワビ、エビなどの海鮮が、これでもか!というくらいタップリ入っている。

大満足の逸品であった。



午後、一行は熊本へ。

熊本市は、日本最南端にある政令指定都市。

九州では、福岡市、北九州市に次いで人口が多いという。

街の中心は熊本城。

熊本城周辺地域約550haには厳しい高さ制限が設けられ、景観を守っている。


城の周辺には古い城下町も残り、チンチン電車が街を走り抜け、

城から少し離れた熊本駅周辺は再開発中ということで、高層ビルも目立つ。



城下町の散策は、後のお楽しみということで、まずは熊本城へ。

二の丸駐車場に車を停め、熊本城周辺を散策することに。


駐車場に至るまでの道すがら、ところどころに立派な木陰のある庭園を目にする。

遠くからは、ボール遊びをする子供たちの嬉々とした声がこだましてくる。

ここは運動公園なのだろうか……⁈

とてもお城の中にいるとは思えない。


地図を見ると、二の丸広場は熊本城のほんの一部。

天守閣を中心に広がる城郭は、この広場の何倍もある。


熊本城というと、加藤清正が築城した、「武者返しの石垣」が有名な、難攻不落の名城であることは知っていたが、これほど大きいとは思わなかった。
 

晴天の休日とあって、二の丸公園の芝生にはシートを敷いて花見を楽しむ人が多い。


熊本城は、2016年の熊本大地震で大規模な損壊を被った。

2020年の修復完了を目指し、現在、急ピッチで作業が進められている真っ最中。

残念ながら二の丸から先、本丸へ向けてのエリアには入ることはできない。



二の丸公園の片隅から、修復中の天守閣仰ぎ見る。


堀を挟んで目の前にある「戌亥櫓」の基部は半ば崩壊し、露出した角石で辛うじて櫓を支えている。



崩落石材の復興工事の手順がよくわかる展示があった。



崩れた石垣は、安全対策のため防御ネットで外側を固定。


外側の大きな石は、取り除かれ、



この大きな石の一つ一つに番号や記号を書き込まれ、整然と並べ置かれている。

新たに基礎を固めてから、パズルのように、元通りに組み直すという。


復元までには、相当の仕事量が必要となることだろう。




熊本城には、西南戦争で西郷軍の執拗な攻撃を、谷干城率いる官軍が撃退したことで知られ、

二の丸広場には「西南戦争籠城家族避難跡」の碑が残されている。



そして、また、西南戦争に先立ち勃発した神風連の乱も、この地で激戦が繰り広げられている。



二の丸公園内には、立派な樹木が、そこかしこに残っている。

優に数百年の年月を経ているだろう。




うららかな春の、のどかな昼下がり。

そんな戦闘が繰り広げられたなんて、とても想像できない。




ただ、ここにそびえ立つ樹木や城跡はだけは、

そんな人々の呻き声、泣き叫ぶ声を聞いていたに違いない。




二の丸広場の木陰にビニールシートを敷いて、ひと休み。

周囲はアルコールも入って賑やかだが、我々はジュースとお菓子をつまみながら、桜の花を取り巻く人々の宴を、ぼんやりと眺めていた。


キャンピングカーで日本一周

キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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