2月24日 奄美市住用 → 龍郷町(西郷南洲謫居の地)→ 宇検村[奄美大島](110km)②


続いて、西郷ゆかりの展示があるという、龍郷町の生涯学習センター「りゅうがく館」へと向かう。



ここでは、隆盛と愛加那の長男、西郷菊次郎に関する特別展示が開催されていた。


西郷菊次郎は、1861年に奄美大島の龍郷で生まれた。

9歳で鹿児島の西郷本家に引き取られ、13歳のときに「北海道開拓使海外留学生」の一員として、アメリカに留学している。


この時の留学生一団は、監督役の大鳥圭介を除く15人。米仏露に分かれて派遣された。

このうち、特に若年だった15歳以下の留学生が4人いたが、全て鹿児島県出身者。

13歳の菊次郎は、得能新二朗と並んで最年少だった。



写真を見ると、眼差しは真剣だが可愛らしいお坊ちゃん。

英語と農学を専攻することになっていたが、昔の人がいかに早熟でも、13歳で留学して大丈夫なのだろうか。

薩摩閥のコネで、鹿児島県出身者の少年を無理やりねじ込んだのだろうか、と勘ぐってしまう。


しかし、その後の彼の歩んだ波乱万丈の生涯を見ると、菊次郎という人は、ただのお坊ちゃんではなかったようだ。

留学生活は日本政府側の財政的な問題から、2年ほどで帰国を命じられた。

英語はともかく、専門的な勉強はほとんど出来なかったと思われる。

帰国後、すでに参議を辞し下野していた父・隆盛の設立した私学校で、半農半読の生活を送る。

帰国から3年後、西南戦争が勃発。17歳の菊次郎は西郷軍の一員として参戦する。

敗色が濃くなる中、右足に銃弾を受け、膝下から切断する大怪我を負う。

菊次郎は捕虜となり生き延びたが、父・隆盛は城山の露と消えた。


新政府の要職にあった叔父・西郷従道が菊次郎の就職の面倒を見てくれたこともあり、英語の能力を買われ、1884年に希望だった外務省の職を得る。

アメリカ公使館に赴任するが、全うできなかった留学への思いから、3年後に職を辞し、2度目のアメリカ留学。

1890年に帰国し、宮内庁の職につく。

その頃、日本は日清戦争に勝利し、台湾を得た。

菊次郎の経験を高く買っていた台湾総督の後藤新平は、1895年、彼を台湾の台北・宜蘭支庁長に任命する。

彼は様々な社会事業に取り組んだが、特に、毎年氾濫を繰り返す宜蘭川に1年半かけて堤防を建設し、宜蘭を水害から守ったことが知られている。

その堤防は「西郷堤防」と呼ばれて親しまれ、菊次郎の帰国後、彼を顕彰する記念碑が地元の人々によって建てられている。


日本に戻った菊次郎は、1904年、2代目の京都市長に就任する。

資金不足に直面する京都市の三大事業(道路拡張と市電建設、第二琵琶湖疏水建設、上水道整備)のため、海外からの融資を提案。

自身の国際経験を生かし、フランスからの巨額の融資を成功させ、巨大プロジェクトを無事着工させる。

市長の重責を7年間務めた後、右足後遺症の悪化を理由に辞職。

鹿児島に帰り、島津家が管理する山ヶ野金山鉱業館の館長に就任後、1928年、68歳で逝去する。


13歳でアメリカ留学を経験した少年が、西南戦争という「日本における最後の内戦」を経験。

父は逆賊の大将として死に、自らは右足切断の重傷を負う。

一人の若者にとって、どんなにか過酷で、残酷な試練であったことか。


菊次郎は、そこから見事に立ち上がった。

激動の時代に生をうけ、偉大過ぎる父を持った少年の、波乱万丈の一生であった。



「りゅうがく館」見学を終えた一行は、敷地内に併設されている温泉施設へと向かう。


島では貴重な入浴施設であったが、残念ながら今日だけ施設整備の為、臨時休業。

仕方がないので、昨晩ネット検索して候補に挙げていた宇検村の入浴施設「やけうちの湯」を目指すことに。


国道58号を南に進み、昨晩お世話になった道の駅あたりまで戻り、その先から西側の海岸方向にそれ、山道を登って行く。

カーブも多く、街灯もない見知らぬ山道は危険極まりない。

イノシシや猿が飛び出してくるとも聞いている。

なんとか日が暮れる前に着きたいところ。

薄暗くなってきたところで、ようやく目的地、宇検村に到着する。

龍郷町から遠路はるばる、2時間近く走ったことになる。

お目当ての「やけうちの湯」は、宿泊施設、レストラン、お土産屋さんや市場が隣接し、そのまた隣には野球場やプールといった運動施設や公園などが集まった総合施設の中にある。

東北福祉大学の学生が合宿に来ており、山道をランニングする姿を目にした。

どうやらここは、角界や野球選手などもトレーニングで利用することのある、隠れ家的な施設であるらしい。

隣接する運動公園内に車を停めて、今夜は宿泊することにする。

キャンピングカーで日本一周

キャンピングカーで日本一周の旅に出ています。夫婦二人、各地の歴史や文化、暮らし方を学びながら旅しています。

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