五木村をあとにし、一行は「平家の里」として有名な五家荘へと向かう。
噂には聞いていたが、ここからが大変な道だった。
国道445号は国道でありながら、所々一車線になる。
奥深く上っていく山道は、一車線が延々と続き、神経をすり減らす。
それでも、行き交う車が地元の軽トラだったりするので、相手が事情を知っていて、うまく道を譲ってくれるのが幸いであった。
ようやく、平家ゆかりの地に、入って来た‼︎
「平家の里」伝説が残るエリアには、平家の子孫が居住していたと伝わる古い民家が点在している。
車を停めるのも難儀なので、一つ一つを見ることはしなかった。
すると、ここで二択問題が。
左右二つの方向に「平家の里」の矢印が出ている⁉︎
しばし二人で頭を悩ませたが、下の方の看板は、わざわざ手作りした感じだったので、こちらが後から作ったものであろうということになり、右側の道を進むことに。
結果は、大正解❣️
いきなり目の前には、桃源郷のような風景が。
どうやら、このあたりが「五家荘」というところらしい。
崖崩れ注意の看板がかかる、倒木も多い細めの山道を、何度もアップダウンを繰り返しながら、
ようやく辿りついた「平家の里」。
感無量である。
駐車場に車を停め、案内所へと向かう。
すると、何かが おかしい。
受付に人がいない。
掲示板を、よくよく見ると、今日は定休日であった。
こちらの頭の中では、公的機関は月曜定休日と思い込んでいるところがある。
しかし、ここは火曜が定休日。
そういうこともあるのだ。
調べずにやって来てしまった我々が悪い。
気を取り直して、平家の落人が隠れ住んだ、奥深い山里の雰囲気だけでも味わうことに。
ここまで来れば、追っての目も届かない事だろうと、選んだ場所のことだけはある。
そう思うと、なかなか感慨深い。
ちなみに、ここは平家の落人といっても、平の血を引くものではなく、官女が落ち延びて来たところということだ。
日本全国、あまりに平家の落人伝説が多いと思ったら、家臣や官女などの一門が、それぞれ散り散りになって逃げ延びたということらしい。
帰りは、同じ道を戻らずに、少し先に進むと元の国道445号に戻ることができる道があるということで、別ルートで行くことに。
距離は来た道の半分以下だったが、やはり平家の落人が隠れ里だけに、そう甘くはなかった。
やすやすと、追っ手に辿り着かれては困るのだ。
しばらく行くと、道沿いに10軒ほど民家が並ぶ集落が。
その一番奥に、「佐倉荘」という民宿があり、その隣にある看板に何気なく目をやると……。
なんと‼︎
そこには「佐倉宗吾の旧跡」と書かれているではないか。
佐倉宗吾といえば、Kの地元千葉県の義民。
なんでここに?
車を停めて、看板を確認すると、ここは佐倉宗吾の生誕地伝説が残っているのだという。
だから、佐倉荘なのだ。
民宿の隣には神社があり、階段を登ってゆくと、佐倉宗吾の家系のお墓があった。
こんな偶然もあるから、旅は面白い‼︎
しばらく行くと、今度は吊り橋が。
高いところに目がないYは、さっさと車を停め、吊り橋を渡って真ん中でポーズ。
遠目ではわからなかったが、こんな立派な吊り橋だった。
この吊り橋、「梅の木轟吊り橋」と呼ばれるそうだが、その由来を見て、またまたびっくり‼︎
この辺りは、菅原道真の子孫が治めていた土地であるという。
この道は、なかなか面白い、と楽しくなってきたところで、また神さまは意地悪をする。
またまた、こんな糸コンニャクをぶつけてくるなんて。
緊張で二人無口になりながら、慎重に車を進める。
なんとか美里町の広い道に出て、ホッと一息。
観光案内やカーナビや、道路地図だけではわからないものだ。
今後は、等高線が載った地図で確認したり、地元の山道に詳しい人のアドバイスを丁寧に聞くことが必要かもしれない。
国道と言えども、行きと同様に細い道が続き、カーブで軽トラと追突しそうになったことも一度あった。
フラフラになって、国道218号沿いにある道の駅 「清和文楽邑」に吸い込まれるように停泊し、そのまま朝を迎えた。
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