道の駅「おおすみ弥五郎伝説の里」は、入り口にレストラン、お土産物、物産品を扱う道の駅があり、その裏側には広〜い総合運動公園が隣接している。
その奥には広〜い駐車スペースのある温泉施設、
さらにまた、その奥の丘の上には、
こんな大きな像が、ドーンと辺りを見下ろしているという、なんとも珍しく壮大なスケールの施設。
この方が「弥五郎どん」とおっしゃる伝説の人物だそうな。
こんなに大きな像が建てられるなんて、一体何者?
ここの敷地内には「弥五郎まつり館」という資料館があるという事で、KY夫婦は さっそく弥五郎についての調査を開始することに。
「弥五郎どん」は、隼人族の首長。
不服従を貫き、朝廷と戦って破れた英雄として、この辺り一帯では語り継がれているようである。
朝廷は、隼人民族虐殺の罪滅ぼしの為、鎮魂の行事「放生会」を行った。
ここまでは、死後の菅原道真公の扱い同様、分かりやすい構図である。
しかし、ここに不可解な内容の記述が。
「弥五郎どん」に、竹内宿禰伝説?
征伐された側の魂を鎮める為のお祭りであったはずが、いつの間にやら、朝廷側の英雄伝説になっていたということ?
1534年といえば、この近くの種子島に鉄砲が伝来した年。
遥か昔に、貴族の時代は終わりを告げ、武士の時代となっているし、その間に何度も為政者は交代している。
いつたい何の為に、祭りの歴史を改ざんしする必要があったのだろうか。
そういえば、確かに、この弥五郎どんの衣装は、どう見ても朝廷側の衣装。
一方、下の写真は、岩川八幡神社の「弥五郎どん祭り」。
山之口の「弥五郎どん祭り」。
日南市口ノ上八幡神社の「弥五郎様祭り」。
各地で開催されている「弥五郎どん」の顔や衣装は、どう見ても竹内宿禰には見えず。
現在、隼人について残されている文献は少ない。
しかし、無念の死を遂げた人々への思いは、子々孫々、語り継がれてきているようである。
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